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*はじめに [#tdf8d761]

戦車の区分と言っても国際的な共通規格があるわけではない。
時代や国によってかなりの違いがあり、また、時代が進むにつれ消えてしまったり新たに発生してきたものもある。
このゲーム内の戦車は隊員の得意戦車タイプによって下記の6通りに分かれている。
なお現実に存在する戦車の詳細については、次項「戦車ごとの特性」も参照されたい。

1.装甲車
ゲームにおいては、味方戦車の足止めに使われる地雷対策用の車両である。
実際の車両と同じく装甲(HP)は低く、火力も低い。ただコストも軽く生産時間も短い上4両という数を出せるので防衛車両の釣出しという囮目的に使うという手もある。
また、攻撃優先目標が地雷のため、地雷除去後に遠隔地に置かれた通信・娯楽・資源施設を破壊という方法もある
軽戦車と同じく縁の下の力持ち的な役割である。

2.軽戦車
ゲームにおいては、主に資源・娯楽施設を優先して狙う車両である。
火力と射程は低いが連射力と足回りは装甲車には劣るが高い方である。
しかしながらこの足回りの速さが防衛施設に接近しすぎて攻撃目標になり破壊されるという事も多々あるので注意が必要である。
立ち回りとしては装甲車と同じく、3両という数を生かし敵戦車への囮、遠隔地に置かれた資源・娯楽施設の破壊である。


3.中戦車
ゲームにおいては、歩兵戦車・巡航戦車・中戦車をひっくるめて中戦車扱いである。主に攻撃部隊の主力として使われることの多い戦車である。
ゲームにおいては、巡航戦車・中戦車をひっくるめて中戦車扱いである。主に攻撃部隊の主力として使われることの多い戦車である。
防衛戦力として、現状防衛車両は1両しか出ないため2両出せるという強みを生かせないため不向きな車両である。
攻撃部隊においては走攻守と整った性能をしており、軽戦車のように防衛施設に一方的に撃破されるという事は少ないだろう。
一部日本車両は範囲攻撃が可能であるが、性能は一段階低く★-1程度の性能になっている。

4.重戦車
ゲームにおいては中戦車より強力なものが多いが、出撃数が1な上、コストが非常に高めのため攻撃部隊としては中戦車と比較すると見劣りする。
が、高い装甲(HP)を生かして防衛施設の攻撃を受ける壁役に使う、スキル使用によって出撃数を増やしたり大きな戦力になる可能性を秘めている。
防衛部隊に編成する場合は出撃数の問題が気にならないため、単純に強力である。
ただ、攻撃部隊に使うに当たっては、優先目標の司令本部を無視して敵戦車に突っ込んで返り討ちにあうという挙動をとることもあるため慎重に運用することを求められる。

5.駆逐戦車
ゲームにおいては、駆逐戦車・対戦車自走砲・突撃砲をひっくるめ駆逐戦車である。高い火力・射程を持ち、一部の同格中戦車よりも高めの耐久力を有していたりとTD(Tank Destroyer)の名に恥じない性能を有している。
ゲームにおいては、(何故か)歩兵戦車・駆逐戦車・対戦車自走砲・突撃砲をひっくるめ駆逐戦車である。高い火力・射程を持ち、一部の同格中戦車よりも高めの耐久力を有していたりとTD(Tank Destroyer)の名に恥じない性能を有している。
ゲーム内の出撃数は1両または2両で、1両出撃可能な戦車は防衛部隊として、2両出撃可能な車種は攻撃部隊としてどちらとも使いやすい。
ただ、攻撃優先目標が防衛施設のため突出し、施設の集中砲火を受け壊滅するという事もあるのでなるべく中戦車や重戦車を前に出し盾役は必須である。

6.自走砲
ゲームにおいては障害物越しの間接射撃による範囲攻撃が可能。
現実には戦車でも砲弾を変更することにより間接射撃が可能なものがあったが、ゲーム内では自走砲のみの特長である。
出撃数は1両で、装甲(HP)も低いため運用は難しいが、攻撃部隊のダメージソースとしては大変重要である。
また1両であるため防衛戦車として壁越しに敵戦車の攻撃に使えなくはないのだが、低めの装甲のため対戦車スキルで一撃で破壊されてしまうというリスクもある。
攻撃においても駆逐戦車と同じく攻撃優先目標に突出して撃破されたりするので初期配置には気を付けるべきである。

*戦車ごとの特性 [#s9000ce1]

#region(◆豆戦車)
豆戦車(まめせんしゃ)は、軽戦車よりさらに小型・軽量・軽装備な戦車。タンケッテ(Tankette)や豆タンクとも呼ばれる。

概要
イギリスのカーデン・ロイド豆戦車(MkI-MkVI)を豆戦車の嚆矢とするのが定説である。無限軌道方式の装甲戦闘車輌の内で、重量的に、3トン程度を平均として、6トン未満の物のことを指すことが多く、6トンを超えると軽戦車に分類されるのが、一般的である(同時期のヴィッカース 6トン戦車が境の指標となっているものと考えられる)。5〜6トン程度だと、豆戦車か、軽戦車か、どちらに分類するかは、微妙なところである。
その多くは、2名ないし1名で運用し、砲塔を持たず(例外もある)、武装も機関銃を1-2挺備えただけの軽武装であり、装甲も薄く、口径7.62〜7.92mmの小銃弾をかろうじて防げる程度の厚さ(数mm〜十数mm)しかなく(そのため、口径7.62〜20mmの、徹甲弾や対戦車ライフルや機関銃砲による敵の攻撃により、容易に貫通・撃破される危険性がある)、実態は移動機関銃トーチカにすぎず、基本的に、対人・対機関銃砲陣地・対非装甲(ソフトスキン)車輌用である。なお、一部には20mm機関砲や対戦車ライフルや対戦車砲や歩兵砲や火炎放射器やロケットランチャーを搭載したものもある。
戦間期の軍縮時代である1920年代末から1930年代末頃にかけて数多く生産された。これらの戦車は、より大型の戦車に比べて取得・製造・維持コストが安価であったため、十分な軍備を持つだけの予算のない国家が、より後進国相手の戦争用に、また、植民地の治安維持用に、積極的に導入し、配備された。また、比較的、製造が容易であったため、戦車の国産化・独自開発を目指す国家にとっては、戦車の製造・開発技術の習得の手始めとして、うってつけであった。また、軽量なので、低出力エンジンでも高速で、燃費が良いという利点もあった。特に道路・橋梁・鉄道・港湾・船舶用デリック・クレーンなどのインフラストラクチャーが整っていない地域では、移動・輸送が容易な、小型軽量軽便な車輌が重宝された。
対戦車戦闘能力を持つ軍隊に相対するには生存性が低すぎ、戦車や装甲車輌や対戦車陣地を攻撃するには火力や装甲が不足していた一方で、対戦車戦闘能力を持たない軍隊に相対するには十分に有効であり、イタリア軍によるC.V.33系列のエチオピア軍に対する活躍や、日本軍による九二式重装甲車・九四式軽装甲車・九七式軽装甲車の中国軍に対する活躍などが知られる。また、植民地や占領地における治安維持用兵器として、まずまずの評価を得た。
直接戦闘以外では、偵察や連絡任務、火砲や物資用カーゴトレーラーの牽引にも用いられた。こうした補助的任務には、一応の装甲と自衛火器を有する豆戦車は有用だった。初めから戦車の名を冠せず、装甲車や牽引車などの名目で開発配備されたものも多い

現代の豆戦車
第二次世界大戦中に能力不足がはっきりしたため、大規模に配備している国はない。今日でも使用されている豆戦車の子孫は、軽便さを生かして空挺部隊や偵察部隊で補助的に使われている。つまりは早期展開や国外派遣、歩兵直協といった限定的な任務を担っている。
スコーピオンやヴィーゼルが代表例。日本の陸上自衛隊では2008年まで60式自走無反動砲が普通科の歩兵直協に使用されていた。
なお、主力戦車より安価軽便な代替車両としては、小型・軽量でライフサイクルコストが低い装輪装甲車が配備され、かつての豆戦車に近い地位で配備されている。
武装としては、無反動砲・低反動砲・機関砲・対戦車ミサイル・個人携行式地対空ミサイル・迫撃砲・グレネードランチャー(自動擲弾発射機)・重機関銃、などがある。

[[Wikipedia日本語版「豆戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆軽戦車)

軽戦車(けいせんしゃ)は、戦車の種別の一つで、小型軽量のもの。

歴史
第一次世界大戦後の戦間期から第二次世界大戦初期までは比較的広範囲に使用された。豆戦車と並んで安価であることが戦間期の軍縮ムードの中で重用され、植民地警備用にも多用された。特に戦間期のドイツでは戦車開発が抑制される中、戦車開発能力を身に付ける習作用や、運用技術を磨く訓練用として生産された。しかし第二次大戦で戦車が飛躍的な進化を遂げると、火力が低く装甲も脆弱な軽戦車は次第に活動の場を狭めていった。
それでも第二次大戦末期にはアメリカのM24のように以前の中戦車並みの火力を持つものが現れ、戦後もM41やAMX-13などの強力な火力を誇る軽戦車が開発され使用された。また、M551やスティングレイ、M8 AGSの様に緊急展開部隊用に空輸可能な軽戦車も開発されている。これらは再度起こった戦後の軍縮ムードの中で主力戦車の代替として配備されることになるが、朝鮮戦争やベトナム戦争で能力不足を露呈した。
主力戦車に対抗できないのはもちろん、歩兵の携帯火器にも脆弱で攻勢な任務に投入するには生存性が低すぎたのである。火力不足から歩兵支援任務も向かず、歩兵戦闘車などに代替されていった。そのため軽戦車は退役もしくは偵察など補助的な任務に専念することになる。

現代の軽戦車
戦後に開発配備された軽戦車は陳腐化と共に後継車が開発されること無く、歩兵戦闘車などの装甲車に代替された。ただし現在でも一部の国では、主力戦車より取得コストが低い、装輪装甲車より悪路での運用性が良いなどの理由により運用が続いている(現在は新規開発よりも装軌装甲車の派生型として砲塔を換装したものが多く、同様に砲塔を換装した装輪装甲車もあり、こちらは装輪戦闘車、装輪戦車ともよばれる)。
また、水陸両用戦車も一種の軽戦車であり、水陸両用戦車から発展した軽戦車も多い。ただ、やはり能力不足と戦車揚陸艦の発展により、先進国の軍には配備されなくなってきている(カラビニエリなどの準軍事組織が使用し続けている例はある)。
空挺戦車も同様に廃れているが、PKOなど海外派遣任務を重視するドイツが、豆戦車的なヴィーゼルを開発した。空挺戦車でもここまで小型のものは中型または大型ヘリコプターでの空輸が可能で、装甲偵察車としてイギリスのスコーピオンやフランスのAML装甲車、ERC 90装甲車などがある。
アメリカはM551シェリダンの後継としてM8 AGSを試作したものの開発中止に終わり、さらにフューチャー・コンバット・システムの一環としてM1エイブラムスの後継としてMCSを開発するもこれも計画中止に終わり、代替としてストライカー装甲車の派生型としてM1128ストライカーMGSが造られた(これは開発中止されたLOSAT対戦車ミサイルの代替でもある。M1エイブラムスは後継開発を止めて引き続き発展型を計画する事になった)。

[[Wikipedia日本語版「軽戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆中戦車)
中戦車(ちゅうせんしゃ)は、戦車の種別の一つで、軽戦車と重戦車の中間に位置するもの。主に対戦車戦闘を含む機動戦に用いられる。
どの程度の重量の戦車を中戦車とするのかは国や時代によって大きく異なる。戦車は第二次世界大戦中に、脅威的な進化を遂げ、重量や能力が加速度的に増加したため、同じ中戦車とされる戦車でも差が大きい。
また、イギリスは巡航戦車と歩兵戦車という独自の区分を用いていたので、重・中・軽という重量分類は行っていない。
第二次大戦後、軽戦車は、装輪走行車の技術が発達したため、その機動性と歩兵直協能力が兵員輸送車の能力と合わさる形で歩兵戦闘車や偵察戦闘車に代わり、軽戦車が担っていた役割は別の戦闘車両という形で継承された。また、高性能な装甲車に切り替わったことにより、部隊運用の変化が起き、戦車部隊以外で運用されることが多くなり、主力車種としては軽戦車が扱われることは事実上消滅した。 中・重戦車は、エンジン技術の発達、装甲材質の強度向上と軽量化技術の発達で、中戦車並みの機動力と重戦車並みの攻撃力、防御力を併せ持つ事が可能となり、主力戦車(MBT)として、かつての中・重戦車を統合する存在として汎用的に使われるようになった。そのため中戦車という分類は概念や表現上使うことはあっても、事実上消滅している。たとえばソ連のT-54/55は当初中戦車として採用されたが、今日では第一次世代の主力戦車とみなされている。

[[Wikipedia日本語版「中戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆歩兵戦車)
歩兵戦車(ほへいせんしゃ、英: infantry tank、仏: char d'infanterie)は、主に第二次世界大戦初期までの戦車設計思想において、歩兵の随伴支援用に考えられた戦車の種類である。
特に、第一次世界大戦で戦車を大量に戦線に投入し、初期の戦車開発の先進国であったイギリス、フランスにおいては明確に歩兵戦車の名称のもとで戦車開発が行われていた。また、第二次大戦でドイツが実現した機動戦力としての戦車の集中運用の優位性が認められるまでは、各国の多くの戦車は設計思想的には歩兵戦車として開発されていた(ドイツですら、運用当初のIV号戦車は支援用であり、歩兵戦車に近い扱いだった)。
戦間期には、「新兵器」である戦車の所属をめぐり歩兵科と騎兵科との縄張り争いもあり、特にフランスでは歩兵戦車は明確に歩兵科の支配下にあることを示す名称でもあった。一方、イギリスにおいては巡航戦車は戦車師団に、歩兵戦車は歩兵師団に明確に区別されて配備されていた。
なお、戦車による歩兵の随伴支援はやはり必要であるが、現代においては歩兵の輸送も行える歩兵戦闘車に代替されつつある。

イギリスの歩兵戦車
第二次世界大戦前、イギリスでは、戦車戦力の中心となる中戦車は機動性重視か、装甲重視かで激しい論争が行われていた。結局、1936年、その双方を別々に開発するという決定がなされ、第二次世界大戦直前から中盤にかけて、数種の歩兵戦車が設計・製造された。低速で装甲重視の歩兵戦車に対し、その対概念となる軽装甲・機動力重視の系列は巡航戦車と呼ばれた。これには、世界各地の植民地への船舶輸送を考慮した場合、攻防速すべてを充実させると車両が大型化し、重量面や容積面で輸送に支障が生じるため、どれかを犠牲にして重量と容積の軽減を図らなければならないという事情もあった。
イギリスは第一次世界大戦後、来る戦争においても先の大戦と同様に塹壕戦が繰り返されると考えた。その為に歩兵戦車に求められた性能として
・敵対戦車砲に耐えうる、移動陣地となるような厚い装甲。
・歩兵と行動するために早い速度は不要とされ重量に対して馬力が低かった。
・歩兵と共に行動できる不正地走破能力を要求され登坂力、超堤能力、超壕能力などは高かった。

イギリスの鉄道は標準軌の鉄道としては車両限界が狭く、輸送上の制限のために比較的小型の砲塔リング径となり、結果、搭載砲も小型となることとなった。この結果、イギリス戦車には榴弾が用意されていない2ポンド対戦車砲か、徹甲弾の用意されていない76mm野砲のどちらかが搭載され、同じ部隊に配備され互いに協力しあうはずであったが、実際にはそれぞれが単独で運用された。これは、大砲(対戦車砲)・陣地、または敵戦車のどちらかに対しては有効な攻撃力を持たないことを意味し、この状態で戦うことになった北アフリカにおいては苦戦を強いられることとなった。
その後、両方の弾薬を用いる75mm砲の登場で問題は解決したが、もはや機動力なき歩兵戦車・防御力なき巡航戦車の時代は終わっており、戦後の戦車開発は機動性と防御力を両立した主力戦車へとシフトしていった。ただし、戦後開発されたセンチュリオン、チーフテン、チャレンジャーといったイギリス主力戦車は、機動力より防御力と生存性を重視する歩兵戦車の伝統を受け継いでいる。

[[Wikipedia日本語版「歩兵戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9%E5%85%B5%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆巡航戦車)
巡航戦車(じゅんこうせんしゃ、cruiser tank)は、第二次世界大戦時のイギリス軍における戦車の分類である。機動力が最優先され、その代償として防御力が犠牲となっていた。歩兵戦車の対概念の戦車。
イギリス軍は、第一次世界大戦の戦訓から、戦車を歩兵戦車と巡航戦車に二分し、異なる役割を与えていた。歩兵に随伴して敵戦線を突破することが目的の、歩兵戦車に求められたのは厚い装甲と超壕能力であったが、機動力による突破や追撃が目的の、巡航戦車に求められたのは速力であった。そのため、同時期の歩兵戦車よりも、一回り軽量で、装甲は薄い代わりに高速であった。
ドイツ軍戦車の火力・装甲が強化されると対抗上、巡航戦車も火力・装甲を強化した、いわば「重巡航戦車」となり、これが汎用的な主力戦車へと発展することとなった。しかし、その開発配備は常に後手に回り、結局イギリス陸軍はアメリカから供与されたシャーマン中戦車を事実上の主戦力として対独戦を戦うことになる。
巡航戦車MK.III(A13)以降に影響を与えたクリスティー戦車は、ソ連軍では改良されBT(快速戦車)として量産され、発展していった。これはイギリスの巡航戦車と同じような目的で作られたが、そもそもソ連軍の大演習でBTを観覧したイギリス軍将校が推進したのが巡航戦車なのである。
なお、戦後開発されたセンチュリオン、チーフテン、チャレンジャーといったイギリス主力戦車は、「頭文字が『Cはcruiser tankのC』で始まる名称をつける」という巡航戦車の伝統を受け継いでいる。

[[Wikipedia日本語版「巡航戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E8%88%AA%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆多砲塔戦車)

多砲塔戦車(たほうとうせんしゃ)は、複数の砲塔を有する戦車である。第一次世界大戦から戦間期にかけて開発・軍への採用が行われた。

誕生と発達

初めて戦車が各国から実戦投入された戦争は第一次世界大戦であった。ヨーロッパを縦断して大規模に行われた西部戦線のような塹壕戦において、塹壕突破兵器としてのニーズが生まれた。戦車の嚆矢はイギリスにおける陸上軍艦(Landship)構想であった。その結果生まれた世界最初の戦車:マーク I 戦車は、両側面に2つの砲郭を有していた。
しかし、1917年に登場したルノー FT-17 軽戦車が採用した、全周旋回可能な砲塔を車体上部に搭載する形状が効率的な戦車のレイアウトとして確立され、その後の多くの戦車がそれに倣うようになった。
第一次大戦が終結し戦間期に入っても、新時代の兵器として戦車の研究開発が続けられた。しかし戦術思想的には進歩はなく、相変わらず戦車は塹壕突破が主目的とされた。
イギリス軍参謀本部の構想に基づき、1925年にビッカース・アームストロング社によって製造されたA1E1 インディペンデント重戦車は、歩兵と共同せずに単独で塹壕線を打通することを目的に作られた戦車で、車体中央の主砲塔の回りに機銃塔4基を配置した合計5基の砲塔を持つ多砲塔戦車であった。
インディペンデント重戦車は各国で注目されたが、大型でコスト高となる多砲塔戦車は1929年の世界恐慌による軍備予算縮小もあって装備化が進められることはなかった(製造されたのは軟鉄製試作車が1輌のみ)。しかし、ソ連ではインディペンデント重戦車を参考にしたT-28中戦車やT-35重戦車などが量産されることになり、特にT-28の生産数は500輌を超えた。なお、ソ連はイギリスに対してインディペンデント重戦車の購入を打診していたが、断られてしまった。そのため、T-35は砲塔のレイアウトこそインディペンデントと類似しているが、その他の点についてはソ連がインディペンデントの外見だけを見て独自に組み上げた。

問題点
多砲塔戦車には、複数の方向へ死角無く機銃を配置することで、側方や後方からの攻撃を防御しようという意図があった。移動トーチカよりむしろ移動城砦である。戦車多数の投入により、お互いに防衛しあうといったものではなく、単独使用でも歩兵の肉薄攻撃に耐えうることを意図した発想である。特に側面攻撃から守られることは、戦車の敵陣突破を容易にすると考えられていた。だが、実際には得られる利点以上に数々の問題が生じた。

それは以下のような問題である。
・大型化と重量増による機動力の低下(機動戦に対応出来ない)
・重量軽減のために全体的に装甲が薄くなる(例えば、T-35の最大装甲厚は正面の30mmで、初期のIII号戦車と同等)(対戦車、対戦車砲への対抗力の不足)
・複数の砲塔を持つため、車体規模に比して小型の主砲しか装備できず、火力に劣る(戦術面での運用づらさ)
・操作人員の増加により戦車内の指揮の混乱が発生しやすい(マーク1からみられる、問題)。
・高密度化された設計による整備性の低下
・高価格
・設計コンセプトが実戦にそぐわない(塹壕突破兵器としての多砲塔戦車の設計コンセプトとは裏腹に、第二次世界大戦において塹壕戦はさほど多くなかった。戦術のずれ)

側面・後方からの攻撃防御という意図は、主砲に同軸機関砲を装備するという方法で、より合理的に対応可能であった。
しかし、その大きさによる威圧的な外観は軍事力をアピールするには好都合で、軍事パレードなどで花形として展示されることもあった。設計コンセプトは歩兵支援に特化した重装甲の戦車として歩兵戦車などに残ったが、ソ連以外の国で多砲塔戦車が多数量産されることはなかった。

[[Wikipedia日本語版「多砲塔戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%A0%B2%E5%A1%94%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

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#region(◆重戦車)

重戦車(じゅうせんしゃ)は、第二次世界大戦前から冷戦までの時期に作られた戦車のうち、大きな車体、重装甲、大型砲搭載など様々な条件により同時期の自軍戦車の中で相対的に重量の大きい戦車を指す。
特に第二次世界大戦中は大砲の威力と装甲強化のシーソーゲームが激しく、開戦時には40t程度もあれば立派な重戦車といえたが、1944年には70t近くの重戦車が実戦で使用され、188tの“超重戦車”(ドイツ国のマウス)まで試作されるに至った。

[[Wikipedia日本語版「重戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

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#region(◆主力戦車)

主力戦車(しゅりょくせんしゃ、英語:main battle tank、略称:MBT)は、戦車の分類の1つである。現代の戦車はほとんどが主力戦車に分類され、戦力の要となっている。
第二次世界大戦まで戦車は重戦車、中戦車、軽戦車、豆戦車、駆逐戦車など多様であった。戦後、戦車に求められるあらゆる任務をこなせるように走攻守をバランス良く備えた主力戦車が登場し統合が進んでいった。その背景には戦術の確立と技術の発展があった。

[[Wikipedia日本語版「主力戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E5%8A%9B%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

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#region(◆駆逐戦車)

駆逐戦車(くちくせんしゃ)は、戦車および対戦車車両の一種であり、敵戦車の撃破を目的とした装甲戦闘車両である。発祥地のドイツ語からJagdpanzerヤークトパンツァーと呼ばれ、英語圏でも呼称として定着した。

概要
駆逐戦車は、一般的に防衛戦に投入されることが多く、機動性を生かして攻撃的に運用する戦車とはその役割が異なる。類似の存在に突撃砲、砲戦車、対戦車自走砲、などがあるが、特に戦車部隊が運用する対戦車車両の場合にそう呼称される。

特徴
車体
駆逐戦車の車体は、多くが既存戦車の流用である。戦車から砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更されている。無砲塔構造は砲塔内容量、旋廻リング荷重制限などを受けないので、流用元の戦車に比べ、より重くてかさばる、つまり大型・大口径・長砲身で威力の高い砲が搭載可能である。
反面、射線を変えるためには車輌自体を旋回させねばならず、状況に即応した行動をとることが難しい。このような性質から、駆逐戦車は攻勢戦闘よりも、あらかじめ射界を計算した陣地防御や、待ち伏せ戦闘に適している。

備砲
通常、駆逐戦車の備砲は、高初速で装甲貫徹力の高い対戦車砲あるいは高射砲である。しかし、大口径榴弾砲類を搭載した自走榴弾砲も、駆逐戦車と同様に対戦車戦闘に使用される場合がある。
榴弾砲は装甲貫通力は低いが、着弾時の衝撃により敵戦車の装甲を引き裂いたり、装甲内壁を剥離させ、破片により搭乗員を死傷させることで、敵戦車の戦闘能力を奪うことができた。これは現代のHESH(HEP)弾と同じような効果である。そのため、自走榴弾砲が対戦車兵力の一翼を担うことは少なくなかった。通常は間接砲撃任務ながらも、不意の対戦車戦闘に備え、HEAT弾を搭載していた物もあった。また、特にソ連軍の場合、重砲であっても直接照準器が備えられていた。

[[Wikipedia日本語版「駆逐戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%86%E9%80%90%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

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#region(◆突撃砲)

突撃砲(とつげきほう、独: Sturmgeschütz)は、第二次世界大戦時にドイツ国防軍によって歩兵支援用につくられた自走砲(自走歩兵砲)の一種である。
敵陣地を直接攻撃するために強力な砲と低姿勢を兼ね備えており、対戦車任務にも大いに活躍した。
なお、アメリカ軍においても“Assault Gun(アサルトガン)”の名で呼ばれる兵器が存在し、これを日本語に直訳すると「突撃砲」となるが、これは特定の兵器の種別名ではなく、機甲部隊や機械化歩兵部隊において、榴弾砲を主砲とし、それによる直射火力支援を主任務とした戦車や自走砲の運用法に拠る部隊編制上の呼称で、アメリカ軍に「アサルトガン」という車両種名があるわけではない。
当項目では主にドイツ軍のものについて記述する。

概要
突撃砲は、自走砲に分類される車両である。基本的には歩兵支援用であるが、対戦車戦闘向けに長砲身化されて実質、駆逐戦車任務をこなすようになったものもある。
突撃砲は黎明期の巡洋艦のような所属部隊や役務に応じた籍名ではなく、独自の車両種名である。仮に歩兵部隊の突撃砲が機甲部隊に配属されても、名前が「突撃砲」でなくなるわけではない。逆に駆逐戦車が歩兵部隊に配属されても、名前が突撃砲になるわけではない。ミハエル・ヴィットマンが車長を務めた時のIII号突撃砲も機甲部隊であるPanzergruppe所属である。
突撃砲兵(Sturmartillerie)は、1935年に戦車とは異なる歩兵支援として提案された概念であり、当時から突撃砲は砲兵に属するものとされた。
1943年になって事態が変化した。装甲部隊の再建をスピードアップするため、ハインツ・グデーリアン戦車兵総監の要求により4月にPanzer-Sturmgeschuetz-Abteilungという新たな種類の大隊が定義され、再建中の3つの装甲連隊が第III大隊として突撃砲45両を受け取ることになったのである[3]。6月には、戦車大隊を持たないことが多かった装甲擲弾兵師団にも戦車大隊に代えて突撃砲大隊が配属できることになった。「駆逐戦車」やブルムベアなどの「突撃戦車」は戦車兵科所属となることを前提とした呼称であるが、いくつかの車両ではこの名称が決まるまでに「Panzer」「Sturmgeschuetz」をそれぞれ含む名称が混用されている。

前史
第一次世界大戦における塹壕戦では、歩兵が敵のトーチカを破壊することは困難であった。長距離砲による破壊は弾道精度、測距精度の問題で非効率的であり、大砲自体の前線進出が望まれていた。しかし大砲の前線進出には砲の重量、機動性の問題があった。このために、歩兵支援のための機動性を持ち近接支援を行うことができる砲として、自走砲や戦車の研究が行われることとなった。
ドイツ帝国陸軍は、西部戦線での最後の攻勢である1918年春季攻勢で、敵戦線を突破し64kmも進出した。この時ドイツ軍は初めて戦車A7Vも使用したが、突進する歩兵部隊に追随して火力支援にあたったのは、砲兵部隊により馬や人力で牽引されていた7.7cm FK 96 nAや7.7cm FK 16などの軽野砲であった。
なお、フランスの旋回砲塔を持たず75mm野砲を搭載したサン・シャモンは「突撃戦車/襲撃砲戦車」("char de rupture")と呼ばれ、歩兵の陣地突破への直接火力支援を行うというコンセプトが後の突撃砲と同じである。

突撃砲の開発
敗戦後、ヴァイマル共和政ドイツはこうした経験から1927年に突撃砲の原点と呼べる自走砲を創りだす。それは1918年春季攻勢で活躍した7.7cm野砲を、民生用の装軌式トラクターの車台にオープントップ式に搭載したもので、砲兵を守る装甲板はなく銃砲弾飛び交う前線で扱うのに適しているとは言い難かった。そのためどんどん装甲が追加され、ついには完全な密閉戦闘室を持つに至った。これが突撃砲である。このような開発経緯から、運用兵科は戦車部隊ではなく砲兵部隊となっている。
1936年ドイツ参謀本部が突撃砲の概念を決定する。戦車とは異なる突撃砲という兵器の概念には、参謀本部作戦課長であったエーリッヒ・フォン・マンシュタイン大佐(当時)が頭の中に描いていた考えを基に固められていた。
戦車部隊の戦果は歩兵部隊の戦力強化により拡大され、それには後方に展開する重砲群とは異なる、従来の歩兵随伴砲を発展させた兵器が求められている。
・歩兵の装備では攻撃に困難を伴う、敵の陣地や戦車など危険で強固な障害物を迅速に排除して、歩兵の攻撃を前進させる。
・歩兵の求める次元で戦闘するには装甲化されていなければならない。
・敵砲兵の目標になる前に迅速に退避できる機動力が必要である。

戦車のように移動中に火砲の照準を変えつつ状況に応じて射撃しながら敵戦線を突破するという役割は期待されていなかったため、大口径砲の搭載に制約を受ける回転砲塔の採用は必要なかった。そして同年に出された開発命令によりIII号戦車をベースとした無砲塔構造の車両に短砲身75mm砲(7.5cm StuK37 L/24)を用いた歩兵支援用の自走砲が開発された。
無砲塔構造は、ベースのIII号戦車より大口径砲が搭載可能になった事以外に、車両高が低くなったので敵から発見されにくく、かつ攻撃されても被弾しにくくなった。 その技術的細目を直接指導したのは参謀本部技術課にいたヴァルター・モーデル大佐(当時)だった。これが突撃砲(III号突撃砲)として採用された。
なお1930年代後半ドイツ以外の列強では、このような歩兵支援目的では回転砲塔構造の歩兵戦車を開発していた。機動力、火力、防御力のいずれかに重点を置くかは各国の用兵思想により違っていた。
・日本の九七式中戦車やソビエト連邦のT-26は、薄い装甲により機動力を確保し、当時の戦車としては比較的大口径の搭載砲で火力を重視した。
・イギリスのマチルダI歩兵戦車は、防御力を重視して厚い装甲を施したため、機動力が犠牲になり武装も重機関銃のみだった。
・フランスのルノー R35は、機動力、火力、防御力の中庸を取った。

実戦での活躍と役割の変化
第二次世界大戦での実戦で、突撃砲は開発コンセプト通りの活躍を見せた。電撃戦の各場面において、主に歩兵戦闘の支援を行い、敵勢力の重火器制圧に効果を挙げた。 一方、初期の突撃砲の指揮車が防御力に劣る装甲ハーフトラックであったため指揮官の損害が多く、後に指揮官も突撃砲に搭乗するように編成が変えられた。
1941年、バルバロッサ作戦(ソ連侵攻作戦)を発動し、ソ連に侵攻したドイツ軍は、圧倒的にすぐれた敵戦車T-34に直面し、すべての装甲戦闘車両は威力不足となった。ソ連赤軍の膨大な戦力に対し長距離行軍を強いられたことから、ドイツ軍の戦車戦力は急激に消耗していった。
東部戦線では、ドイツ歩兵の最大の脅威は敵のトーチカではなく敵戦車であり、突撃砲に求められるのは、敵戦車を破壊できる対戦車能力となった。もともと突撃砲は、対戦車戦闘も想定しており、徹甲弾を発射することができたが、これに加えてベトントーチカ用に配備されていた成形炸薬弾を用いて対戦車戦闘に従事した。のちにドイツ軍の戦車エースとなったミヒャエル・ヴィットマンも独ソ戦初期にIII号突撃砲A型単独で16輌(諸説あり)のソ連赤軍軽戦車T-26を迎撃、うち6-7台を撃破したというエピソードを持つ。
ドイツ軍は、突撃砲の歩兵支援向きの短砲身砲を、対戦車戦闘にも有利な長砲身に変更する計画を大戦前から進めており、1940年にはクルップ社にて試作砲が完成して試験が始まっていた。しかし開発中だった新型7.5cm砲ではT-34に対して威力不足と考えられたため、ラインメタル社が新たに提示したより強力な長砲身砲(7.5cm StuK40 L/43及びL/48)を開発搭載することになった。ここに至って突撃砲の任務は、対戦車戦闘の比率が大きくなったといえる。また歩兵支援任務向けの突撃砲として、対トーチカ攻撃用としてより口径の大きな榴弾砲を装備した、10.5cm Sturmhaubitze 42(42式突撃榴弾砲または突撃榴弾砲42型)が並行して量産され、通常の突撃砲と同じ大隊に配備された。この時点で突撃砲は、回転砲塔を持たず、その重量を装甲防御と火力に回す火力支援用の"戦車"へと性格を変えた。
戦車不足に悩むドイツ軍にとって、突撃砲はなくてはならない戦力となった。前述の通り突撃砲は同じ重量の戦車より装甲と火力に勝り、その上、精度が要求される回転砲塔を持たないため生産工程は戦車よりも少なく済み、大量生産が可能であった。
しかし、砲兵科と機甲科のセクト争いより、似たような性格の戦闘車両である突撃砲と駆逐戦車を両方生産してしまったという側面もある[要出典]。駆逐戦車的な性格を強めた突撃砲は、大戦中期以降は戦車部隊にも配備され、これは本来の突撃砲運営部隊との間に少なからぬ摩擦をもたらした。配備される突撃砲の取り合いになっただけでなく、砲兵科からは「砲兵が騎士十字章を得る手段が無くなってしまう」(突撃砲兵以外の砲兵は間接砲撃による支援任務主体であり、また直接交戦の機会が多い対戦車砲は歩兵師団の戦車猟兵の装備であるため)などと反発の声が上がった。なお、武装親衛隊の突撃砲は従来から戦車隊に配備されていた。
突撃砲はアルケット社により生産されていたが、工場が連合軍の空襲により大損害を受けて操業停止に追い込まれたため、 IV号戦車の車台を用いた IV号突撃砲(Sturmgeschütz IV)が製造された。IV号突撃砲の生産開始に伴い、それまで単に「突撃砲」と呼ばれていた車輌は III号突撃砲(Sturmgeschütz III)と呼ばれるようになった。
ドイツの突撃砲は終戦まで連合国軍相手に歩兵支援や対戦車戦闘で活躍し、ドイツ軍の対戦車戦力の根幹であった。ドイツ軍歩兵をして「戦車5台より突撃砲1台を」と言わしめることとなったのである。ただし、回転砲塔とそれに付随した機関銃を持たなかったため、バズーカなどを装備した歩兵に背後や側面に回られると戦車よりも脆い点が弱点であった。
またソ連赤軍においてはドイツ軍の突撃砲に影響を受けた、旋回する砲塔を持たない戦闘車輌があるが駆逐戦車や突撃砲に相当する分類はなく、"旋回する砲塔を持たない戦闘車輌"は、主任務が対戦車戦闘であれ、歩兵近接支援であれ単に"SU"(自走砲を意味する略語)と呼ばれ、自走砲部隊に配属された。
そしてフィンランドでは敵軍であるソ連から鹵獲したBT-7快速戦車を改修してイギリス製のQF 4.5インチ榴弾砲を搭載した「BT-42(クリスティ突撃砲)」があったが旧式化した廃品利用的色合いが濃く、性能的に到底満足のいくものではなかった。 1943年9月にドイツから上記画像の通りIII号突撃砲が供給されている。他にもソ連赤軍からISU-152を鹵獲してるが、その三日後にソ連赤軍のT-34に撃破されている。

第二次大戦後
第二次世界大戦後、突撃砲は歩兵支援の場からも、対戦車狙撃任務の場からも、急速に姿を消していった。理由は以下のようなものが挙げられている。
・歩兵支援任務は歩兵戦闘車や、より発達した装甲兵員輸送車に引き継がれた。
・高価な主力戦闘車以外による低姿勢待ち伏せ型対戦車攻撃任務は、駆逐戦車や長砲身型突撃砲から、自走対戦車ミサイル発射機と携帯式対戦車兵器に引き継がれた。その移行期には、カノーネンヤークトパンツァー駆逐戦車(ドイツ)、改ヘッツァー型駆逐戦車G-13(スイス)なども造られている。

突撃砲は上記の通り、攻撃と防御の変化、戦闘車両の不足というナチス・ドイツ陸軍の状況に変化せざるを得なかった。支援兵器としては誘導が不可能なロケット弾から誘導が可能なミサイルへの移行もあり必要性が低下した。また、あくまでも対戦車戦闘を考えるならば回転砲塔が装備できればそのほうが戦闘車両として遥かに使い勝手が良い。駆逐戦車については戦後のドイツでもカノーネンヤークトパンツァーの生産が継続されたが、やがて武装を対戦車砲から対戦車ミサイルへと変えていく事になる。
正確な射撃のための砲の照準において、照準を合わせるために車体を動かさねばならないという状況は、初弾で命中が期待できる現代陸上戦闘では防御戦闘であったとしても不利と言わざるを得ない。さらには対人戦闘においては車体を動かす事で照準をつける事は不可能に近く、無砲塔形式では決定的に不利となる。また、車体の低さが存在理由となった突撃砲も、現代地上戦においてはその車高の低さが必ずしも生存の可能性を高めることには成らないという状況においては、定義上の突撃砲の存在意義は低くなったといえるであろう。まして、現代戦闘において、生産性を考慮しなければならないような長期にわたる戦争の可能性も低く、総合的に突撃砲が現代戦において復活する可能性は低いと考えざるをえない。大型の火砲を搭載する回転砲塔を設計・製造する技術を持たない国や地域が兵器としての自走砲を要望しない限りにおいては、新たな突撃砲が生み出される可能性は低いといえる。
スウェーデン陸軍では、1960年代に"主力戦車"として、砲塔を持たないStrv.103を生産したが、これは同国の国是である「武装中立」に則った防衛戦における待ち伏せ戦闘に特化したためである。Strv.103には旋回砲塔はないが、砲塔の無い分を駆動システムや機動性、操縦システムで補い、独自の汎用戦闘方法を確立しているため、突撃砲のような、いわゆる自走砲の範疇とはまったく別物であり、あくまでも“戦車”であることに注意が必要である。そしてやはり、無砲塔形式ゆえの問題点もあり、後継となる戦車は普通の砲塔形式のものが採用された。
中華人民共和国の現用装備である02式突撃砲は、装輪式で回転式砲塔を有しており、対戦車自走砲もしくは装輪戦車に分類される装備であるが、中国陸軍においては砲兵科に配備され、突撃砲と呼称されている。

[[Wikipedia日本語版「突撃砲」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E6%92%83%E7%A0%B2]]

#endregion

#region(◆砲戦車)

砲戦車(ほうせんしゃ)は、大日本帝国陸軍の軍用車両の分類のひとつである。日本独自の兵器カテゴリーである。

概要
戦車部隊に随伴し、当時日本陸軍の一般的な戦車に搭載されていた37〜57ミリ程度の備砲では迅速な破壊が困難なトーチカや装甲車両に対し大威力の75ミリ以上の火砲をもって制圧、あるいは撲滅することを目的としている。
また通常の榴弾に加え、発煙弾などを用い制圧射撃を行うことで味方戦車の機動戦闘を支援するといった役割も求められており、その意味では第二次世界大戦期のドイツ陸軍における初期のIV号戦車や、イギリス軍のCS(closed support近接支援)型に近い性格となっている。
車体は支援する戦車隊との整備や機動力の兼ね合いから既存の戦車と同じものを用い、外観なども著しく 大きくなってはならないとされた。その上で1ランク上の火砲を装備することは困難であるが、十分な射界を 維持できるのであれば「やむを得ず」旋回砲塔形式を採用せず、後方や上面は簡易なものであっても可とされており、 決して固定戦闘室やオープントップの砲塔自体を指して戦車と砲戦車を分類するものではない。

戦車と砲戦車
砲戦車に求められた最大の特長は備砲の砲弾威力である。当時の日本軍の主力戦車である九五式軽戦車、九七式中戦車の備砲を例に比較すると、37ミリ砲弾:600g程度、47ミリ砲弾:1.5kg程度、57ミリ砲弾:2.5kg程度に対し山野砲で用いられた75ミリ砲弾は概ね6kg〜7kg程度と砲弾重量、 つまり一発あたりの破壊力が飛躍的に増大している。
これは、たとえ時間をかけて目標に多数の砲弾を撃ち込んで破壊し得たとしても、その機動力をもって戦線突破、 後方浸透を身上とする戦車部隊にとってそのようなタイムロスは致命的であり、敵の反撃を容易にし部隊を 危険に晒すことに繋がってしまうため、上記のような「迅速な機動のための迅速な破壊」が砲戦車に求められた任務であった。
しかし単に砲弾重量が大きければ良いというわけではなく、移動目標に対する射撃や装甲目標に対する貫通力の観点から ある程度の発射速度や砲口初速も求められている場合があった。(例としては、二式砲戦車の前身にあたる試製一〇〇式/一式砲戦車(ホイ車)では、搭載砲に用いられた四一式山砲をベースとした九九式戦車砲(一号砲)は初速不足とみなされ、改良型である二式砲戦車では砲身長を増した九九式戦車砲(二号砲)を搭載している。また、機甲科側よりホイ車は砲戦車として不適であるとし、高初速の九〇式野砲を理想の搭載砲とする意見が多く上がり、本来は野砲兵の自走化として着手されていた一式七糎半自走砲をホイ車に代わる砲戦車としての適性を見出し、正式には野砲兵の兵器にもかかわらず独自に動的目標試験を行い「試製一式砲戦車」 とした。その他の例としては、昭和18年3月ごろには低初速の十糎戦車砲を搭載した砲戦車も構想されていたが、同年6月ごろには方針転換により削除され、代わりに高初速の105佶い鯏觝椶靴真桂だ鐚(甲)が計画されている。)いずれにせよ、砲戦車は対陣地・対戦車のいずれかに限らず、当時の同一車体を用いた戦車より総合的に優れた火力を求められた装甲戦闘車両と言える。

砲戦車と自走砲
「砲戦車」とは、機甲科の管轄の場合のカテゴリー呼称であり、同一車種でも砲兵科管轄の場合「自走砲」と呼ばれることがあった。具体例としては「一式七糎半自走砲」がある。これは砲兵科での呼称であり、機甲科では「一式砲戦車」である。
実際に戦車連隊に配備された一式七糎半自走砲(ホニ)及び一式十糎自走砲(ホニ供砲里Δ繊∩絢圓鯔だ鐚屐後者を自走砲と呼び分けた例が戦車第三〇連隊等の文書記録に存在する。しかし、これらの車両は機甲師団用の機動砲兵として配備が進められていた物で、大戦末期において、ホニ亀擇咼曠豊供∋夕綾集涸玄走砲などの自走砲を対戦車戦闘目的に使うことが決定した際、ホニ気留人冕,砲戦車の運用に近づいていったが、自走砲部隊の人員供給は野戦砲兵学校を中心に行われており、砲兵側からすればホニ気呂△まで自走砲であり、砲兵の管轄であるというかなり曖昧な立場であった。
また、昭和19年度になっても機甲科の管轄である戦車連隊(砲戦車中隊)への配備は実現せず、三式砲戦車とは異なりあくまで一式十糎自走砲と同様に砲兵が所掌する装備であったという説もある。(具体例として、1944年のフィリピン戦線に参加した戦車第10連隊内の第五中隊は砲戦車中隊であるが、すべて57价史た繁づ觝椶龍綣啓庵羸鐚屬任△襦また本土決戦に向け、九州地区に配備された機甲部隊内の砲戦車中隊の編成は、すべて三式中戦車とその代用である三式砲戦車からなっていた。)
日本陸軍では多くの軍用車輌はカタカナ二文字の略記号(秘匿名称)でも表すことができ、砲戦車は、「ホ○」という記号で表される。ホは砲(ホウ)の頭文字を取ったものである。○には開発計画順にイ、ロ、ハ・・・と割り当てられる。計画順なので、未完成の車輌も含む。また自走砲(つまり砲兵科管轄)も「ホ○」で表す。ただしナト、カトなどの例外もある。
「ホ○」には、諸外国では「自走砲」、「突撃砲」、「駆逐戦車」、「戦車駆逐車」と呼ばれるカテゴリーに相当するものが幅広く含まれる。古い書籍においてはこれらの車両に対してしばしば「砲戦車」という訳語を当てはめたものが見受けられる。

#region(参考例)
日本の戦車の命名の例
・チ○・・・中戦車の記号。チはチュウセンシャの頭文字。以下同様。
・ケ○・・・軽戦車の記号。
・オ〇・・・大型戦車の記号。
・ホ○・・・砲戦車の記号。
・カ○・・・水陸両用戦車の記号。
・ジ〇・・・自走砲の記号。

日本陸軍の砲戦車、自走砲には、ホイ、ホロ、ホニ、ホト、ホチ、ホリ、ホル、ナト、カトなどがある[4]。
・ホイ・・・二式砲戦車
・ホロ・・・四式十五糎自走砲
・ホニ・・・ホニI、ホニII、ホニIIIがある。
・ホニI・・・一式七糎半自走砲(一式砲戦車)
・ホニII・・・一式十糎自走砲
・ホニIII・・・三式砲戦車
・ホト・・・試製四式十二糎自走砲
・ホチ・・・試製五式十五糎自走砲
・ホリ・・・試製五式砲戦車・・・ホリIとホリIIがある。
・ホル・・・試製五式四十七粍自走砲
・ナト・・・試製七糎半対戦車自走砲
・カト・・・試製十糎対戦車自走砲

#endregion

配備
陸軍戦車研究委員会により一般的に三個小隊で編制される戦車中隊に新たに第四の小隊として、あるいは四個中隊編制される戦車連隊に第五の中隊として配備されることが構想されたが、後者が採られた。
一方で本土決戦が叫ばれる中、より対戦車戦闘力の高い三式砲戦車は「砲戦車」の名を冠しながら10個独立自走砲大隊に配備されることも予定され野戦砲兵学校で教育が行われた。また、本土の装備優良な戦車連隊では中戦車2個中隊には47mm砲搭載の戦車が充てられ、砲戦車中隊には三式中戦車が2個中隊配備されており、戦車・砲戦車・自走砲といった車両の制式名と部隊名称が一致しない例も見られる。終戦までに生産された砲戦車は少なく、57ミリ砲搭載型の九七式中戦車を充てられることもあった。
一例としては、司馬遼太郎こと福田定一(終戦時少尉)が乗車した九七式中戦車も、戦車第一連隊第五中隊に配備されるはずの砲戦車の代用である。

[[Wikipedia日本語版「砲戦車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B2%E6%88%A6%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆対戦車車両)

対戦車車両(たいせんしゃしゃりょう)は、戦車の撃破を目的として、軍用車両に対戦車兵器を搭載したものであり、多くは自走対戦車砲または自走式対戦車ミサイルである。
なお、対戦車車両と似た言葉に、駆逐戦車(ドイツ語および英語でJagdpanzer)と戦車駆逐車(英語ではtank destroyer、ドイツ語ではPanzerjäger)がある。この両者はしばしば対戦車車両と混同され、同義語として扱われる場合もあるが、厳密には駆逐戦車は戦車に近い存在であり、一般的な対戦車車両とは異なる性質を持つ。戦車駆逐車は前述の特定の語に対する訳語、より広義の存在であるアメリカ合衆国のGMC(Gun Motor Carriage(tank destroyerとも)、戦車駆逐大隊を参照)の訳語などとして用いられる。

概要
対戦車車両の装甲は、いずれもほぼ皆無か、あっても極めて限定的なものとなっている。これは、コストや重量の点で戦車と差別化し、異なるニッチを獲得するためのものである。
元来、もっとも有力な対戦車車両とされているのは戦車そのものである。戦車は、堅牢な装甲によって、敵の戦車砲を含めてほとんどあらゆる攻撃手段に(少なくともある程度は)抗堪でき、強力な火砲によって、敵のあらゆる装甲戦闘車両に対して(少なくともある程度は)損害を与えることができ、無限軌道を備えた走行装置によって、極めて優れた戦術機動力を発揮することができる。しかし一方で、戦車は高価であるため大量配備は困難であり、また、大重量のため空挺部隊などに配備するのは不可能である。このことから、より軽量であるために戦略機動力に優れ、より廉価であるために手軽に調達できる兵器システムとして用いられるのが対戦車車両である。
対戦車車両は通常、戦車連隊ではなく、通常の歩兵連隊や、あるいは専門の対戦車隊に配備される。

特徴
対戦車車両は、対戦車砲を主武装にしたものと、対戦車ミサイルを主武装にしたものに大別できる。第二次世界大戦頃までは前者が主流であったが、冷戦期以降は後者が主流となっている。

車体
砲を装備する時代の対戦車車両は、砲撃時の反動を抑える目的などから大半が装軌式車両であった。対戦車ミサイルを装備する現代の対戦車車両には、装輪式車両も多く見られる。ミサイルは砲より反動・重量が少ないため、装輪式でも問題が無いからである。

装甲
対戦車車両の大半は薄い装甲しか持たず、敵戦車の砲撃に耐えるのは困難である。この理由としては、
・対戦車車両に重装甲を施すと、重量と製造費が高騰して、調達が困難になる。
・もともと重装甲を施せない軽車両を改造して作られている。
・強力な砲を装備したため、その分の重量相殺のため装甲を削る必要がある。
などがある。このため対戦車車両は防御力が貧弱であるので、敵戦車と正面から撃ち合うような戦いは行わず、専ら防衛戦闘や待ち伏せ攻撃に投入される。

駆逐戦車と対戦車車両
「駆逐戦車」の詳細は上を参照してください。
駆逐戦車とは一言で表すと「戦車を駆逐するための戦車」である。主に第二次世界大戦時のドイツ陸軍が数多く運用した。
当初ドイツ陸軍が運用していた対戦車自走砲は、装甲が薄いため防御力が低く、車高の高さから敵に発見され易く、損耗率が高かった。そのため、全高の低い固定式戦闘室に厚い装甲を施した対戦車自走砲が作られるようになった。これらの車両は高い防御力を有するため、「自走砲」と言うより「旋回砲塔を持たない戦車」に近い存在であるため、戦車駆逐車(Panzerjäger)ではなく駆逐戦車(Jagdpanzer)と呼ばれるようになった。実際にIV号駆逐戦車の一部のタイプなどは「戦車」に分類され、戦車大隊に配属されていた。
ただし、構造が駆逐戦車に似ていれば駆逐戦車と訳される場合もある。アメリカ陸軍が運用した対戦車自走砲のM10、M18などは、軽装甲で旋回砲塔式の対戦車自走砲であり、正式にはgun motor carriage(機動砲架)に分類されていた。この種の車両の訳語としては、Tank Destroyerに由来する戦車駆逐車が充てられるが、T28重戦車のように構造上駆逐戦車と同一であれば、駆逐戦車と訳される場合もある。

[[Wikipedia日本語版「対戦車車両」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%88%A6%E8%BB%8A%E8%BB%8A%E4%B8%A1]]

#endregion

#region(◆装甲車)

装甲車(そうこうしゃ、Armored Car、AC)は、装甲を備える自動車である。一般に装輪車両のみを指し装軌車両は装甲車両(装甲戦闘車両の範疇に含めるが、日本では装軌の歩兵戦闘車や兵員輸送車を装甲車と言い換える(自衛隊用語)
軍用装甲車以外にも、警備や暴動鎮圧に使われる警察用の装甲車、消防用の耐火装甲消防車、現金輸送車や要人輸送用で固有の武装を持たない民間用や文民用の装甲車もある。

軍用装甲車
軍用の装甲車は、戦闘を目的とする装甲戦闘車両と戦闘以外の輸送任務などを目的とする車両に分けられる。一般に、装甲戦闘車両は装甲が厚く搭載する兵器も強力であるが、輸送任務等を主に行なう装甲車は比較的軽装甲で固有の兵器も小火器程度か搭載しないものが多い。
また、軍用の装甲車は、タイヤを備えた装輪装甲車と無限軌道を備えた装軌装甲車の2つに分類される(後述)。

歴史
兵器としての装甲車は第一次世界大戦以降、各国でさまざまな火器を搭載し装甲によって防護された多様な車両が製作された。
第二次世界大戦中には、路上においては装軌車より高速であるために偵察用として使用された。路外走行性能に優れた半装軌車および装軌車も普及が進み、戦場から戦場へと将兵を運ぶ用途に用いられた。
第二次世界大戦後には、兵員を輸送するための装甲車を装甲兵員輸送車とし、戦場で戦車と共に戦い兵員も輸送する歩兵戦闘車というカテゴリーが生まれた[注 1]。
一般に装甲兵員輸送車の任務は、兵員に防護を提供しつつ戦場間や後方との間を移動する、いわゆる「戦場のタクシー」と呼ばれるものであった。大口径の火器の脅威に曝される危険性は低く、その装甲も機銃弾や砲弾の破片に耐える程度のもので充分とされていた。しかし、小型軽量の対戦車兵器である肩打ち式の対戦車ミサイルの普及により、歩兵の対戦車戦闘能力は著しく向上した。第四次中東戦争において、エジプト軍の歩兵がソ連製の肩打ち式対戦車火器[注 2]によってイスラエル国防軍の戦車部隊に有効な損害を与えてその行動を遅滞させたことは、イスラエル軍の基本戦術であるオールタンクドクトリン(戦車至上主義)を揺るがせた。この戦訓によって、対戦車ミサイルによって攻撃を図る敵歩兵を味方戦車に寄せ付けないために歩兵が戦車とともに密接に連携することが求められるようになった。敵の強力な砲火に曝されながら、味方戦車に随伴する歩兵を運搬する任務には、装甲兵員輸送車では不充分であることが認識されるようになってきた。従来の装甲兵員輸送車では、防御力と攻撃力が不足していた。これに応じて、機関砲弾に耐える程度の装甲防御力と、機関砲や対戦車ミサイルによる攻撃力を備えた歩兵戦闘車が登場した。
東西冷戦の終結後、軍事費の支出が抑えられるようになると、装軌車より調達費と維持費が安く、エンジン、タイヤ、サスペンションの技術的な進歩によって、不整地走破能力が向上した装輪装甲車が好んで配備されるようになった。また、戦闘の形態が不正規戦に移行した事で、空輸による緊急展開が可能で舗装路での走行能力が大きく、戦車等に比べて威圧感が少ないなどの扱い易さが歓迎されて、先進各国での取得が増えるようになった。また、アジア・アフリカ・南アメリカの第三世界諸国でも、陸戦装備の国産化手段として戦車よりは技術的障壁が低いことから開発と生産が活発になった。1輪あたりの接地圧を下げて不整地走破能力を高めるため装輪数を増やす傾向があり、世界的には6輪や8輪の装輪装甲車が多い。
装軌式の装甲兵員輸送車から歩兵戦闘車が生まれたように、装輪装甲車も市街地における乗車戦闘などの必要性から重武装化の傾向にある。
装軌式と装輪式の両装甲車では、RWS(Remote Weapon Station/System)と呼ばれる小型無人砲塔の搭載が増えている。これは、車上に設置された小型砲塔の機関銃や自動擲弾発射機、ロケット砲などを、車内からリモコンで操作できるものである。これらの火器に備え付けられた高倍率ズーム付き高解像度カメラや赤外線カメラの映像は車内に表示され、火器の照準としてだけでなく周囲警戒にも役立てられる。
装輪装甲車に大口径の低圧滑腔砲や低反動ライフル砲など、一部を除き戦車砲とは別物の砲を砲塔に搭載した「機動砲型 装輪装甲車」という新たなカテゴリーの兵器が生まれ、2009年現在、いくつか開発と配備が進められている[注 3]。
IEDやEFP、地雷の脅威から車内を防護するためには、V字形の車体底部や、より厚い装甲および衝撃吸収座席等が有効であるが、重量増加や車体の拡大を招き、特に車高が高くなる傾向がある。

装輪装甲車と装軌装甲車
装輪装甲車は舗装路を長距離にわたって高速で自走することが可能で、道路上の移動に適している。燃料消費が比較的少なく、故障のリスクや保守の手間が少ない。また、パンクはもとより車輪の幾つかを失っても走行能力の維持が期待できることから地雷に対する抗甚性が高い。一方で、不整地や悪路での運動性能は装軌車両に及ばない。
装軌装甲車は路外の移動に優れており、戦車に追随して多様な戦場を機動できる。しかし燃費が悪く、長距離の自走は乗員や機械類および路面に負担が掛かるため、ゴムパッドが付いた履板を用いたりトランスポーターと呼ばれる運搬車両に載せて移動する。履帯が切れたり起動輪や誘導輪が破損すると走行できなくなるため、地雷等には脆弱である。

装軌装甲車の無限軌道は、前後いずれかの駆動輪(スプロケット)で履帯に動力を伝え、残りの転輪や誘導輪は空転しているのみで転輪をサスペンションで支えるだけで済み、車体は無限軌道の間に低く位置できる。装輪装甲車は基本的に全ての車輪にドライブシャフトとディファレンシャルギアを用意し、大直径の車輪が上下動やステアリングで動く空間をタイヤハウスとして確保する必要がある。
装軌装甲車が無限軌道を採用するのは、路外走破性を得るだけでなく戦闘時の被弾から車内を防護する装甲を比較的厚くすることからくる重量増加に対応するためでもある。これは装輪装甲車が厚い装甲を持たないことを意味しており、装輪式であることは装甲を含めた車体重量に制限がある。

[[Wikipedia日本語版「装甲車」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%BB%8A]]

#endregion

#region(◆自走砲)

自走砲(じそうほう、Self-propelled artillery, SPA, Self-propelled gun, SPG)は、大砲を自走可能な車体に射撃可能な状態で搭載したものである

概要
装備する大砲の種類によって自走榴弾砲、自走迫撃砲、自走無反動砲、自走対空砲などと呼ばれる。21世紀の現在では、単に自走砲と言えば自走榴弾砲を指すことが多く、自走カノン砲という呼び方もされるが自走榴弾砲と同じものである。過去には自走臼砲、自走対戦車砲、自走歩兵砲なども存在し、運用する軍組織によって書類上の分類から突撃砲や砲戦車などと呼ばれることもあった。
小型トラックに砲を載せただけの物から、重さ120トンを超えるカール自走臼砲まで、多種多様な物が開発された。
牽引式榴弾砲の中には、陣地展開時や陣地転換のために補助エンジンによって短距離を自走できるものもあるが、これは自走砲には含まれない。補助エンジンによって短距離を低速で自走出来る牽引式榴弾砲の例として、FH70やTRF1がある。

自走の必要性
野戦で砲兵が扱う大砲は、人間あるいは牛馬、自動車などによる牽引式で移動するが、迅速な移動には問題があった。射撃陣地に到着後、牽引状態から射撃状態に移行し、射撃後に移動するため再び牽引状態にもどすのに時間が必要である。又、大砲は徐々に大型化し人・馬が扱うのには困難なほど大型化し重量を増していった。自走砲はこのような問題を解決するために生まれた。
対砲兵レーダーが発達すると、自走砲の射撃後の陣地転換が非常に重要な要素となった。同じ位置から射撃を続けると、弾道を電波で探知・計測する敵の対砲兵レーダーによって発射位置が特定され、砲やミサイル、空爆による反撃を受ける可能性が高くなる。これを避けるために数発砲撃した後に素早く移動するための機動性として自走能力が必要となっている。さらに、射撃管制装置と自動装填装置の進化により、短時間に大量の連続射撃を行うバースト射撃能力が求められている。バースト射撃能力の例として、ロシアの2S19では、持続射撃時には毎分2発の砲撃を行うが、バースト射撃の際には毎分8発の砲撃を行うことが出来る。
このほか、最新型の自走榴弾砲では単一の砲から発射された複数発の砲弾が同一目標にほぼ同時に着弾するように高仰角から少しずつ仰角と装薬量を小さくしながら連射するMRSI(Multiple Rounds Simultaneous Impact:多数砲弾同時着弾)砲撃を可能としている。MRSI射撃が可能な自走榴弾砲としては、南アフリカのG6-52やドイツのPzH2000、スロバキアのズザナ、スウェーデンのアーチャーなどが挙げられる。また、陣地展開から射撃、再移動へのプロセスの時間短縮も重視されている。ドイツのPzH2000では、8発を発射する砲撃任務を、射撃準備に30秒、射撃に1分、撤収に30秒と、わずか2分間で完了できる。
ただし、上記のようなバースト射撃能力やMRSI射撃能力などを持つ自走榴弾砲は高価な上に重量も大きくなるため、調達数が制限されたり輸送機による空輸に支障が出たりするようになった。このため近年では自走砲の原点に立ち返って迅速な移動に焦点を絞り、トラックの荷台部分に榴弾砲を搭載する自走榴弾砲も登場するようになった。代表的な例としては、フランスのカエサルやイスラエルのATMOS 2000などが挙げられる。トラック利用型の自走榴弾砲は牽引式榴弾砲と同様に操作・装填されるため連射性能が下がること、また、車体が装輪トラックなため不整地踏破能力や防御力が装軌車両型より劣ることが弱点であるが、低コストなのが利点である。

戦車と自走砲の違い
戦車と自走砲を分ける境界線はいくぶん曖昧である。
21世紀現在、近代的な戦車には移動する物体を砲撃する能力(動目標射撃)や、自ら移動しながら砲撃する能力(行進間射撃)が備えられている。対して自走砲では、自衛戦闘時に直接射撃が行なえるように照準器を持つものもあるものの、あまり重視されていない。自走砲では、長距離の目標へ向けてどれだけ多くの砲弾を短時間で投射できるかがより重要となる。
戦車の砲弾は、比較的近距離の低伸弾道を高速で飛翔して短時間のうちに目標に弾着する事を想定しており、敵戦車を攻撃する場合のように硬い目標に対しては徹甲弾や成形炸薬弾が用いられ、軽装甲車両や人員のような軟かい目標には多目的対戦車榴弾が用いられる。
第二次大戦中には視界内の目標を直接砲撃する「対戦車自走砲」なども多く用いられていたが、現在「自走砲」と呼ばれ、対地目標を砲撃する物の多くは自走榴弾砲である。自走榴弾砲の砲弾は、放物線を描いて遠距離まで投射される。自走砲の射程は15km程度から30kmほどが多いが、PzH2000ではRAP弾を使って射程56kmを有する。誘導砲弾の開発が進められているが、2009年現在、量産されるまでには至っておらず、ほとんどが無誘導なので目標への直撃よりは炸裂することで加害する榴弾が用いられる。
戦車の砲塔は360度全周旋回が可能なものがほとんどであるが、自走砲では車体前方の限られた範囲しか砲を動かせないものや、砲塔そのものを持たないものもある。遠距離へ曲射する自走砲では、直射する戦車より、仰角が大きく取れるようになっている。大口径砲を搭載する自走砲では、車体後部に駐鋤(スペード)を備えて車体の動揺を抑制するものもある。
敵と目視距離まで近づいて最も危険な戦場を駆け回る戦車では、主に敵戦車が発射する徹甲弾・成形炸薬弾・粘着榴弾や、歩兵や軽車両、攻撃ヘリコプターなどが発射する対戦車ミサイルの直撃に耐えられるだけの装甲を備えるように設計されているのに対して、戦闘に対し比較的安全な後方から間接攻撃によって参加する前提の自走砲では、敵砲弾の直撃に耐えるのではなく、周囲へ弾着する砲爆撃から飛散する破片や爆風や、機関銃による銃弾程度に耐えられれば良いだけの比較的薄い装甲になっている。このため装甲を持たない自走砲も存在する。
本来、戦車は防御された陣地の突破を目的に開発され、自走砲は大砲に機動力を与えるため開発された物である。ただ、広義に戦車であっても狭義では自走砲の任務も果たす場合があり、その逆もある。

自走砲の分類
構造的にはほぼ同じ兵器であっても、国や時代が異なれば違う分類になることもある。運用する兵科や元となった開発目的がそのような兵器の分類を規定することがあるが、それも変化しやすく明確な分類法とはならない。
例えば第二次世界大戦のドイツ国防軍では、無砲塔の戦闘車両が戦車部隊に配備されれば駆逐戦車、砲兵部隊に配備されれば突撃砲、または自走砲と呼ばれた。同じように日本では戦車部隊では砲戦車、砲兵部隊では自走砲と呼ばれた。一方で、イタリア軍やソビエト連邦軍では、配備先や防御方式(密閉式か否か)による分類はされず、全て自走砲と呼ばれていた。
日本語では戦車の数詞は「両」で数えると同様に自走砲は「両」であり、鉄道車輛を機動力とする列車砲も同様に「両」で数えられる。自らで機動力を持たない牽引砲は「門」で数えられる。
自走ロケット砲は概ね砲熕兵器とは呼べないため自走砲ではなく、厳密にはロケット弾発射車両や移動式ロケット発射機に属するものである。

[[Wikipedia日本語版「自走砲」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%B5%B0%E7%A0%B2]]

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TIME:"2017-09-24 (日) 04:36:17" REFERER:"http://clashofpanzers.wikiru.jp/index.php?cmd=edit&page=%C0%EF%BC%D6%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6"

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