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*基本情報 [#yd429cd1]
|CENTER:|CENTER:|CENTER:|c
|~No.009|>|~プロフィール|
|&attachref(エーレントラウト・フォン・クライスト.jpg);|~名前|エーレントラウト・フォン・クライスト|
|~|~国|ドイツ|
|~|~レアリティ|★1|
|~|~好物|洋服|
|~|~得意戦車タイプ|軽戦車|
|>|>|~キャラ紹介|
|>|>|自信家で常に悠然と微笑しており、思ったことはズバズバ発言する性格。本人も指摘された事を省みる&br;柔軟性を持っており、話しかけてみると以外にフランクな対応で返してくる司令官らしい司令官である。&br;5個装甲師団からなるクライスト装甲集団を率いて電撃戦に参加。また、ある戦いでは敵軍戦車2,500輌との&br;大規模な戦車戦を繰り広げ、その後に参加した2つの包囲戦ではグデーリアンが指揮する第2装甲軍と協力し&br;敵軍の800輌以上の戦車と敵兵65万人を無力化した。&br;グデーリアンとは主張がぶつかり合い、反りが合わないことも多いが、彼女の戦闘能力は認めている。  |

*ステータス&スキル [#w943e80a]
|70|40|40|40|40|c
|>|>|>|>|~ステータス|
|~\|~火力|~装甲|~速度|~連射|
|~Lv1|24|25|9|4|
|~Lv25|120|97|9|52|
|~Lv50| | | | |

|>|>|>|>|~アクティブスキル|
|~名前|~Lv|>|>|~効果|
|パンツァークライスト|I|>|>|味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短|
|~|II|>|>| 味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短|
|~|III|>|>| 味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短|
|~|IV|>|>|味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短 |
|~|V|>|>|味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短 |
|~|VI|>|>| 味方戦車速度アップ&br;対象:全体&br;効果時間:短|

*ボイス [#n40712f6]
#region(セリフ一覧)
|~ログインボーナス受取|待ちくたびれるところだったよ、隊長。|
|~ログイン|さて…どこから着手するかな?|
|~建設完了|建設が完了したとのことだ。視察に行ってみないか?|
|~研究開始|さあ、研究開始!|
|~研究終了|設計図が完成したみたいだな。戦術の幅が広がると良いな?|
|~設計図獲得(新規)|ニュータイプ、きたぁー。ぱ、ぱちぱちぱちー。|
|~設計図獲得(重複)|同じ設計図だな…仕方ない、次回に期待だ。|
|~スカウト|クライストだ。これから世話になるぞ。|
|~戦車完成|戦車の開発が終わったようだ。完成度が楽しみだ。|
|~配属(リーダー)|的確な判断だ。私に任せておけ。|
|~配属(その他)|分かった。その判断に従おう。|
|~備蓄庫容量不足|容量が一杯だな…整理が必要そうだな。|
|~隊員クリック|なにかな?先程から私の方を見ているようだが…&br;隊長はもっと威風堂々とした振る舞いをした方が良い。形も重要だぞ?&br;隊長…貴方の前向きさは、なんというか…見ていて心地が良い。&br;エレファントは元々、ポルシェティーガーだったんだよ?&br;軍人としての誇り…まずは身嗜みからだろう。&br;グデーリアンの戦闘スタイルは美しい。実に芸術的だ…&br;私か?たまに自信家と言われるが、実力も伴っているんだから問題あるまい。&br;うっふっふ♪私がいるんだ。敗北の二文字を考える必要は無いぞ?&br;何のために戦うかって?…誇りの為だよ、純粋にね。|
|~贈り物(ギフト)|これを?私に、くれるのか…?ありがとう…大切にするよ。|
|~贈り物(戦術教範)|ありがとう…|
|~購買(財源)|安くなっているようだ。費用も有限だからな、今のうちに買っておくのが良いぞ。|
|~放置|先んずれば人を制すと言うだろう?他の部隊より先に行動しようじゃないか。&br;隊長…?今日は休暇で宜しいかな?|
|~任務達成報酬受取|うむ、任務達成だ。次もこの調子で行こう。|
|~障害物撤去|整地作業が終了したぞ。|
|~レアストーン発見|これは重畳だ!有効に活用しよう。…ちなみに、いただくことは出来ないだろうか?|
|~バトル開始|よし、出撃だ!力まず私についてこい!|
|~友軍到着| |
|~アクティブスキル使用|パンツァークライストの力を見るがいい!|
|~戦車を破壊された時|私が堕とされるとは・・・予想外だ。|
|~撤退|撤退しよう。私の予想よりも被害がでそうだ。|
|~敗北|敗北、か…すまない隊長…後で話せるか?今回の敗北について話したい…!|
|~辛勝|勝利はしたが…良い戦績ではないな。もっと気を引き締めるぞ。|
|~快勝|もう少し作戦を詰められそうだ。何かアドバイスはないか、隊長?|
|~完勝|文句の付け所の無い戦績だ。隊長、これからも私に任せておけ。|
|~レベルアップ|今まで以上に尽力するぞ。|
|~除隊|世話になったな…体には気を付けるんだぞ。|

#endregion
*ゲームにおいて [#r4bfd4cc]

ゲームにおいての役割、使い勝手などの評価をレビューする項目です

*元ネタ [#a9a207f9]

パウル・ルートヴィヒ・エヴァルト・フォン・クライスト(Paul Ludwig Ewald von Kleist, 1881年8月8日‐1954年11月13日あるいは16日)は、ドイツの軍人。最終階級は元帥。第二次世界大戦で電撃戦の中核となる装甲集団の司令官などを務めた。

#region(詳細)

&size(18){ドイツ帝国時代};
教育者の息子としてヘッセン州ブラウンフェルスに生まれる。1900年、士官候補生として第3野砲連隊に配属される。翌年少尉に任官。1907年ハノーファー陸軍乗馬学校入校。1910年中尉に昇進。1914年3月、騎兵大尉に昇進し第1ユサール連隊に転属。第一次世界大戦の勃発後、タンネンベルクの戦いに従軍。騎兵大隊長として前線で戦い、1917年から終戦までは西部戦線で参謀をしていた。マクデブルク駐屯時には後に大統領となるパウル・フォン・ヒンデンブルクと「ちょっとした知り合い」になり、戦後はヒンデンブルクと同じハノーファーに住居したことから、「もっと知るようになった」と語っている。

&size(18){ヴァイマル共和国時代};
終戦後の1919年、義勇軍に参加。翌年ヴァイマル共和国のドイツ国軍(Reichswehr)に採用される。1922年少佐に昇進。1923年、ハノーファーの騎兵学校の教官に就任。 1924年大統領選挙に出馬しようとするヒンデンブルクを訪問し、「政治家になれば、政治家としても人間としても面目を失うかもしれない」と出馬自粛を進言している。 1928年、ブレスラウの第2騎兵師団に転属。中佐に昇進し、1931年にポツダムの第9歩兵連隊長。1932年1月1日大佐に昇進し、ゲルト・フォン・ルントシュテットの後任として第2騎兵師団長となり、1932年10月少将に昇進。

&size(18){ナチス政権時代};
1934年中将に昇進。1936年、騎兵大将に昇進し、ブレスラウの第8軍団司令官。 1938年2月4日、元陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将などと共に軍を退役した。クライストは退役の理由を、ルター派教会に属する自分としては「教会その他の宗教問題に対するナチ党の姿勢に賛同できなかったこと」と「宗教を擁護しすぎたこと」が原因であると語り、自身が発令した年少兵に対する礼拝への参加命令や、それを撤回せよという1937年における国防軍最高司令部 (OKW) からの指令を拒否した事を例に挙げている。他方OKW長官ヴィルヘルム・カイテルについては、「もちろんカイテルの責任ではない。彼は党から圧力をかけられてそう命じたのだ」と擁護している。

&size(18){第二次世界大戦};
1939年の第二次世界大戦勃発とともに軍に現役復帰し、第22自動車化軍団を率いてポーランド侵攻に参加。彼の軍団はポーランド軍の南方防衛線突破に成功した。翌1940年、5個装甲師団からなる「クライスト装甲集団」を率いて、ドイツ軍の先鋒として西方電撃戦に参加。その戦功により7月14日に上級大将に昇進し、騎士鉄十字章を受章。自身でも「あえて言わせてもらえば、フランスで早々勝利できたのは、私の軍団によるところが大きい」と述べる一方、ダンケルクでのヒトラーによる停止命令については「危険すぎると考えたのだ」として「本当にばかげていた」と語っている。
翌1941年4月、ヴィルヘルム・リスト元帥の第12軍の一部として第1装甲集団を率いバルカン半島の戦いに参加。同年6月、やはり第1装甲集団を率いてバルバロッサ作戦に参加、ソビエト連邦に侵攻しソ連軍の国境防御線を突破した。ブロディの戦い(英語版)ではソ連軍の戦車2,500両と大規模な戦車戦を繰り広げ、ウーマニの戦いやキエフの戦いではハインツ・グデーリアンの第2装甲軍と協力してソ連軍の800両以上の戦車と敵兵65万人を捕虜とした。
1942年1月1日、装甲集団を改称した第1装甲軍の司令官に任命される。2月、柏葉付騎士十字章を受章。9月にはA軍集団司令官に任命され、翌年2月に元帥に列せられた。しかし独ソ戦の作戦遂行についてのヒトラーと度々意見を異にした。1944年3月29日、ヒトラーとの会談で役職を解任、ヴァルター・モーデルと交代させられた。この際、ヒトラーはクライストに友好的な話をし、休養を勧めた。クライスト自身は「私が別れの挨拶をしたとき、軍人として常に落ち度があったとは思えない、とヒトラー自身が言った」と語っている。1944年7月20日にヒトラー暗殺未遂事件が発生した際にはゲシュタポに拘束されたが、釈放されている。
敗戦後の1945年、バイエルンでアメリカ軍の捕虜となった。ニュルンベルク裁判では証人としてマンシュタイン元帥ら同志と共に参謀本部の弁護に力を尽くした。クライストは自身らが「参謀本部の維持という問題についてはわれわれ全員が一致している」とし、この危機に直面しての団結が「ドイツ民族の精神はまさに1つである」証であり「崇高なことだ」と述べている。 しかしユーゴスラビアに引き渡され、戦争犯罪人として懲役15年の判決を受けた。1948年にはさらにソ連に引き渡され、終身禁固の判決を受ける。1954年11月、ソ連のウラディミロフカ捕虜収容所で死去した。

#endregion

#region(人物と発言)

ヒトラーに対しての意見表明だけではなく、自らについても「必要以上に謙遜せず言うと、私はフランスで誰よりも活躍した司令官」であると語るなど、率直な物言いをした。

・クラウゼヴィッツの『戦争論』を読んでいなかった。自身を「本質的に前線の将軍」とし、関心は「軍事的勝利」であって「理論書を書くことではない」と言いながら、「実はクラウゼヴィッツも読んだことがない」と明かし、「ソ連軍はクラウゼヴィッツをよく読んでいたにちがいなく、私が読んでいなかったのはまずかったかもしれない」と半ば冗談気味に回想している。
・ヒトラーについて、異常な点があるとは「思わなかった」とし、ヒトラーの怒りやすさに関しては「私自身ヒトラーの倍ぐらい激しいのだ。ヒトラーが私を怒鳴れば、私は倍の怒鳴り声を返した」として「言いたいことを言わせてしまえば、ヒトラーは落ち着き、寡黙にさえなった」と語っている。また軍事指令と政治指令の違いを指摘し、「軍事命令は従わなければ国家への反逆になる」と軍人の苦悩を「悲劇」と表現した。
・ナチ党人物については「罪のあるのはヒトラーとハイドリヒとヒムラー、そしてここ(ニュルンベルク収容所)で聞いたようにボルマンだと言いたい」と述べ、リッベントロップには「思想もなにもなく、ほとんど影響力がなかった」とし、ゲーリングについては「死刑に処されるかもしれない立場」なので「不利になるような発言はしかねる」とした上で、「ヒトラーの催眠術的な力で完全に支配されていたのだから、彼もほとんど影響力を持っていなかった」と語っている。ハイドリヒに関しては「犯罪人の中でもっとも悪質だったと思う。私は彼と会ったことがあるが、あの憎しみのこもった目つきはけっして忘れられない」と批判している。
・カイテル元帥に関しては、カイテルの署名した国際軍法違反命令を「ヒトラーに追従した愚か者の命令だった」と批判した上で、「私はカイテルをよく知っているが、彼はまともな人間だ。意志の弱い人間をあのような地位につけることによって、ヒトラーが彼を意のままに動かそうとしただけなのだ。もし、私がヒトラーのもとでカイテルと同じ地位についていたら、2週間ともたなかっただろう」と同情を示した。

#endregion

[[Wikipedia日本語版「エヴァルト・フォン・クライスト (軍人)」より転載>https://ja.wikipedia.org/wiki/エヴァルト・フォン・クライスト_(軍人)]]

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''&size(16){※ボイス台詞等のネタバレを含む情報のご提供は白文字にして投稿していただけますようお願いいたします};''

TIME:"2018-01-18 (木) 05:30:02" REFERER:"http://clashofpanzers.wikiru.jp/index.php?cmd=edit&page=%A1%FA1%2F%A5%A8%A1%BC%A5%EC%A5%F3%A5%C8%A5%E9%A5%A6%A5%C8%A1%A6%A5%D5%A5%A9%A5%F3%A1%A6%A5%AF%A5%E9%A5%A4%A5%B9%A5%C8"

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