このエントリーをはてなブックマークに追加

基本情報 Edit

画像名前FCM2C
screencapture-pc-play-games-dmm-play-panzer-1501679086088_0.pngフランス
レアリティ★3
出撃数1
編成コスト1800
戦車タイプ重戦車
優先ターゲット指令本部
攻撃範囲範囲
戦車紹介
 FCM社が開発した超大型重戦車。70トンの車体を
動かすために、発電機とモーターを使用する
ハイブリッド駆動方式が採用された。

 

全長10.27(m)全高4.01(m)
全幅2.95(m)重量70.00(t)
最大装甲45mm乗員12人
懸架方式リーフスプリング・ボギー式
主砲75mm M1897
副武装8mm M1914

ステータス Edit

火力装甲射程速度連射
10964390042137

ゲームにおいて Edit

ゲームにおいての役割、使い勝手などの評価をレビューする項目です

元ネタ Edit

シャール 2C(FCM 2C)は、第一次世界大戦中にフランスで開発された超重戦車であり、多砲塔戦車である。
なお、“シャール(Char)”とは元来はフランス語でチャリオット(英語では“Chariot”)、すなわち古代の戦闘用馬車のことで、転じて近代兵器としての戦車を指す。“Char 2C”とは正確に訳すれば「2C型戦車」という意味となる。

シャール 2Cは第一次世界大戦中に計画・開発されたフランス初の実用型重戦車である。しかし、その計画には様々な困難と問題があった上、フランス軍には実用化の意思が薄かったため、第一次大戦中には完成しなかった。
戦後にようやく10両が生産されたが、より先進的な戦車が1920年代から1930年代を通して開発され、本車の兵器的価値はゆっくりと減少した。第一次世界大戦後に「戦車」というものの実用性と運用思想が固まっていく中で、明らかに旧式の思想で開発された本車には有用性が見出されず、もっぱら士気高揚のプロパガンダに利用されていた。
第二次世界大戦においてはすでに旧式化しており、実戦配備はされたものの、撤退に伴う輸送中に行動不能となって自爆処分され、戦闘を経験することはなかった。
本車は実用上必要な性能を達成して実用化されたフランス唯一の超重戦車となった。電気式駆動機構で実用化された数少ない戦車の一つであり、10mを超える車体長は実用戦車としては21世紀に至っても史上最大である。重量的にもある時点までは世界で最も重い戦車で、第二次世界大戦後期にティーガーII重戦車が開発されて実戦投入されるまでは、本車は世界最大にして最も重い戦車であった。

第1次世界大戦2年目の1916年9月15日、イギリスは最初の戦車であるマークIを配備した。様々な実用上の問題はあったものの、「戦車」は衝撃的なデビューを飾り、これを受けてフランス国民も自国が計画する戦車開発に強い興味を抱くようになった。
フランス陸軍全体としての開発方針は軽快で快速な中〜小型の戦車の開発を考える派が優勢であり、技術的困難が大きいと予想される重戦車には冷淡で、幾つかの指針でも「重戦車は不要である」という判断であったが、重戦車推進派の砲兵副長官、レオン・ムーレ(Léon Augustin Jean Marie Mouret)将軍は、内密に重戦車の開発を推進し、フランス南部、トゥーロンの南にあるラ・セーヌ=シュル=メールに所在する造船所であるFCM社(Forges et Chantiers de la Mediterranee:地中海鉄工造船所(仏語版))に独断で重戦車開発と試作車の生産を発注しており、同社の装甲戦闘車両開発の責任者に任命された、ジャミー(Jammy)とサヴァティエ(Savatier)の両技師のチームにより1917年の末には最初の試作車が完成していた。
1917年、自らが主導した大攻勢の失敗で更迭された前最高司令官、ロベール・ニヴェル将軍に変わりフランス軍の新最高司令官となったフィリップ・ペタン将軍は、戦車開発方針について対立していたムーレの失脚により戦車開発を掌握した、軽戦車推進派でフランス最初の実用戦車、シュナイダーCA1の開発者でもあるジャン・エスティエンヌ准将に対し、これ以上の計画を終了させるよう要請した。エスティエンヌは表面的には同意しつつも、「重戦車は軽量型戦車に優先して生産される必要はないが、それらが必要とされる局面がまったく無いということはなく、重戦車が活用される状況は限定的ながら、投入する局面を誤らなければ大きな戦力になる」と考えており、少数ではあっても重戦車を装備した部隊を編成することを構想していたため、計画の続行を承認させ、試作車を用いた試験も続けられることになった。

こうしてフランスで重戦車の開発が進む一方で、連合国は1919年の春に再び大規模な攻勢を行うことを計画していた。この大攻勢計画では、これまでの失敗を踏まえて連合国の各軍・各兵科が高度に連携した作戦行動を行うことが必須であるとされ、エスティエンヌはこの大攻勢を自らの構築した機甲部隊運用の理論を実践する最初の(そしておそらく最後の)機会と考え、多数の軽量級戦車とそれを支援するための相当数の重戦車の整備を訴えた。
しかし、現実問題としてフランスの国家経済は当初の予想を大幅に上回る期間の戦争で人的にも財政的にも資源的にも疲弊しており、エスティエンヌ始め軍部の求めるような規模の戦力の整備は困難な状況になっていた。このようなフランスの状況を鑑み、「1919年大攻勢」の実施が危ぶまれることを懸念したイギリスから、アメリカ・イギリス・フランスの三国共同で開発・生産する計画が進行中であるマークVIII型戦車(英語版)を、フランスが重戦車を自前で生産する労力を形だけでも払った場合、最大で700両をフランスに対し供与する、という提案がなされた。これは要するにフランス軍向けのマークVIII型戦車の大部分をイギリスが負担する形で提供する、というものである。
この提案は、重戦車の必要性を感じつつも主力となる軽量級戦車の生産に影響を及ぼしたくないエスティエンヌと、重戦車開発計画そのものを不要と考えるペタンにとっては実に好都合で、フランス軍は新型戦車を最小の労力で入手すべく、自国の重戦車開発計画を表面上支持すると共に、実際には計画が実行されないように取り計らうことにした。エスティエンヌはムーレの推進していた3種類の重戦車開発計画のうち、最も重量のあるタイプを選択し、更に開発中のFCM 1B重戦車の仕様を加えて再設計したものだけを生産すると決定した。これであれば、完全に新規の試作車両を必要とするために長期の開発期間が必要で、実際には生産されないままに延々と内容のない開発計画を継続できると考えたからである。これに関しては、開発と製造に際して多大な利益がもたらされる重戦車が国産されないことに、ルノー、FCMの両社を筆頭としたフランスの重工業界からの反発が予想されたため、国内企業にも利益が上がる形で導入計画を進めなければならない、といった利権上の理由もあった。
1918年には、FCM 1Aを発展させたものとして、車体を拡大、前部の75mm砲装備(105mm砲への変更が検討されたがとりあえずは75mm砲装備として設計された)主砲塔に加えて後部に機銃装備の小砲塔を追加、動力はガソリンエンジン+電動機を動力とした電気駆動とした総重量65t超の重戦車の設計案が提示されて採用され、「FCM 2C」(Char 2C(2C戦車)の名称が与えられた。開発と試作車の製作はFCM 1Aに引き続きジャミーとサヴァティエの両技師が担当した。
シャール2Cはこのような経緯により誕生したものだが、前述のようにフランス軍首脳にはこの車両を生産する意思はなく、計画を遅延させるべく、ペタンは1919年3月までに300台の2C重戦車を準備するよう求め、不当に高い生産数を要求した。これらの決定は目論見通り重戦車開発計画にさらなる遅れを引き起こした。この問題は、首相と防衛大臣を兼務したクレマンソーとルイ・ルシュール(仏語版)軍需大臣の間に反目が勃発した原因となった。ルシュールは必要なだけの鋼材と労働力をそろえるのは不可能と主張したが、一方、エスティエンヌとペタンは計画を「予定通り」順延させるため、更なる要求で問題をいっそう難しくした。ペタンは渡渉用の特殊なポンツーンを要求し、エスティエンヌは破城槌と電気式地雷探知機の装備を要求した。また、本車が搭載する無線機もより能力が大きいものを複数搭載することが要求され、仕様が二転三転した。このように、政治的事情によりシャール2Cの開発と生産はひたすら遅延し、1918年11月11日の戦争終結時に至っても1両も生産されていなかった。
なお、マークVIII型戦車はイギリスとアメリカが各種コンポーネントを分担して生産し、最終組立工場をフランス国内に建設して現地で完成したものを各国軍に配備する計画になっていた。しかし、英仏の工業生産力は既に自国向けのもので手一杯であり、パリの南に計画された工場の建設は予定よりも大幅に遅れた上、イギリスからの部品の供給も遅延し、生産態勢が整った1918年秋には戦争が集結したため、戦争中にはほとんど生産されぬままに終わった。
第一次世界大戦が終わった当初、シャール2Cの生産命令は撤回された。しかし、長らくフランス重工業界は総力戦を前提とした戦時態勢を続けていたため、平時としては相当な余剰生産能力があり、戦争終結による急激な需要減を埋め合わせるために、国産の新型重戦車を採用させようとする強い政治的圧力が残っていた。結局エスティエンヌは1919年4月に2Cを10両配備すると決定し、その代わりに他の全ての提案を拒絶した。これは完全に成功せず、1920年には250mmの装甲を持つ総重量600tの戦車の建造が兵器技術部門に提案されたが、後に撤回された。この時点では、FCM社では開発チームが試作車両の仕上げにかかっており、その他の9両がほぼ同時進行で生産されていた。
シャール2Cの試作車1両+量産車9両、計10両は1921年に揃って完成したが、電気式駆動機構は実用上の問題が多発する上、当初搭載されたルノー製V型12気筒液冷ガソリンエンジン(220馬力、1,200回転/分)では出力不足から走行性能が低く、最高速度は10km/hがせいぜいだった。完成後、1923年までかけて順次エンジンをドイツより戦時賠償の一環として引き渡されたダイムラー社製直列6気筒液冷ガソリンエンジン(180馬力)2基に換装し、ようやく要求性能を達成することが可能になった。これらの車両は、1931年にルノー D1歩兵戦車の前期シリーズが開発されるまで、国内市場のために生産された最後のフランス戦車となった。
なお、シャール2Cの開発と生産には、総額200万フラン(当時)が費やされた

+  構成
+  発展型
+  後継機
+  運用
+  第2次大戦での戦歴

コメントフォーム Edit

コメントはありません。 コメント/戦車/★3/FCM2C?

お名前: Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

TOPに戻る


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2017-08-02 (水) 22:17:41