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基本情報 Edit

画像名前オチキスH35
オチキスH35.jpgフランス
レアリティ★2
出撃数3
編成コスト750
戦車タイプ軽戦車
優先ターゲット資源・娯楽
攻撃範囲範囲
戦車紹介
 車体は6つの鋳造部分から成り、それぞれをボルト結合していた。
鋳造装甲は傾斜面が多くショットトラップを少なくし、避弾経始の点でメリットがある。

 

全長4.22(m)全高2.13(m)
全幅1.85(m)重量12.00(t)
最大装甲32(mm)乗員2
懸架方式水平コイルスプリング・シザー式
主砲37mm SA18
副武装725mm M1931

ステータス Edit

火力装甲射程速度連射
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ゲームにおいて Edit

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元ネタ Edit

オチキス H35は第二次世界大戦前に開発されたフランスの軽戦車である。(制式名称Char léger modèle 1935 H、軽戦車1935年型-H、Hはオチキス社を示す識別記号)

1926年、通常の歩兵師団に対する支援任務のために独立戦車大隊を創設すること、その大隊には安価な軽歩兵戦車(フランス語でシャール・ダコンパニュモンchar d'accompagnement=随伴戦車と名付けられた)を配備することが決定された。当初、この目的のためにルノー D1が開発されたのだが、これは特に安くも軽くもなかった。
1933年、オチキス社は自主案として、より軽量の戦車のデザインを提出した。これは、車体各部を鋳造し継ぎ合わせるという新技術によるものだった。1933年6月30日、提案は戦車開発の諮問委員会(Conseil Consultatif de l'Armement)で承認され、8月2日には、重量6トン、装甲厚30mmという仕様も決定された。3輌の試作車がオチキス社に対し発注されたが、一方で、他のフランス国内各メーカーに対しても、比較案を募ることとなった。その結果、いくつかのメーカーが競争に参加したが、このうちルノーはオチキスに先んじて試作車を完成させ、これはその後ルノー R35として採用された。
一方オチキスの試作車も、1935年1月18日に、ヴァンセンヌの機械化兵器評価委員会(Commission d'Expérience du Matériel Automobile、CEMA)に引き渡されたが、この1号車は、砲塔を持たず、ケースメート式に機銃1丁のみを装備したむしろ豆戦車と呼ぶべき車両だった。同車は1935年3月4日までテストされ、その後同型の2号車に代わって、こちらは5月6日までテストが行われた。結局これらは不採用となったが、それは1934年6月21日の段階で、装甲厚を40mmにすべしという新しい仕様が導入されていたためで、1935年6月27日、委員会は必要な設計変更を盛り込むことを条件に同車の開発続行を認めた。
8月19日、新しい鋳造のAPX製砲塔を搭載した試作3号車が引き渡され、9月20日までのテストを経て採用となり、11月6日には最初の200輌の発注が行われた。生産初号車は1936年9月12日に引き渡され、その年の内にさらに92輌、108輌の2度の追加発注も行われた。

量産開始後、生産車を使い、1936年12月4日まで再び入念なテストが行われた。その結果、同車は操行性能が著しく貧弱であることが判明した。いくらか凹凸の激しい場所では安全に操縦することすら難しく、これは戦車に寄り添って進む味方歩兵をはなはだ危険な状態に晒すことを意味した。そのため歩兵科では、最初の100輌(第13および28戦車大隊の2個大隊装備分)を除き、それ以上の調達を拒否した。このため、歩兵部隊が装備する軽戦車としては、競作のルノー R35が主となった。
本来そのまま生産停止となるところだが、政治的理由によって生産は続行され、残り300輌の発注は騎兵科によって(それ以外の戦車では予算が出ないという、半ば無理矢理な状況下で)受け入れられることになった。またこれには、騎兵部隊の場合は不整地上よりは路上での行動が多いために操行性能の欠点の影響が少なく、またH35の最高速度が28km/hで、ルノー R35の20km/hよりいくらか速いことも理由となった。とはいえ、H35はギアボックスの性能が悪く、平均速度ではR35に劣った。

オチキス H35は小型の車両で、全長4.22m、全幅1.95、全高2.15m、重量は11.37トンである。車体は6つの鋳造部分(エンジンデッキ、戦闘室、車体前部、車体後部、車体下部の左右)から成り、それぞれをボルト結合していた。鋳造装甲は傾斜面が多くショットトラップを少なくし、避弾経始の点でメリットがあった。
とはいえ、それでも歩兵戦車としての装甲防御力は充分とは言えなかった。車体の最大装甲厚は要求された仕様の40mmではなく34mmしかなく、しかも多数の下請工場を使ったことで、後々まで品質の問題がつきまとった。具体的には、当初は装甲板が柔らかすぎ、次に硬度を上げると今度は脆く、しかもあちこちに“す”が入り脆弱な箇所が出来てしまった。
乗員は2名で、操縦手は車体前部、鋳造の2枚ハッチの後ろに位置した。オチキスH35の操縦は非常に面倒な仕事だった。オチキスには、競作されたルノーR35が持っていたクリーブランド式ディファレンシャルはなく、操行時に予想外の挙動を起こした。ブレーキはその是正にあまり役立たず、しかも傾斜地を走り降りる際、非常に効きが弱かった。さらにギアボックスも厄介で5速に入れるのが難しく、カタログ上の最高速度である28km/hを出せることはめったになかった。結局、操縦手は無理な操縦を重ねることになり、故障が頻発した。機械的信頼性は乏しかった。
サスペンションは片面3組のボギーを持つ。初期の量産車ではボギー側部のラインが折れ曲がっていたが、後にまっすぐになった[1]。このサスペンション・ボギーは、一見、競合相手のルノー R35に似ていたが、ルノーが水平ゴム・スプリングを使っているのに対し、オチキスはコイル・スプリングを使用していた。エンジンは78馬力、6気筒、排気量3480ccで、航続距離は180リットルの燃料タンクで129kmの走破が可能であった。
車長は、軽戦車の標準砲塔であるAPX-R砲塔内に位置。この砲塔は40mm装甲の鋳鋼製で、短砲身37mm砲SA18を備えていた。この主砲は、最大でも23mmの装甲貫徹力しか持っていなかった。主砲弾は100発、7.5mmレイベル機銃とその弾薬2400発を搭載していた。
砲塔ハッチは後部にあり、行軍中は開いたハッチが車長席となった。この場所に座っている場合には、車長は周囲をよく見渡せたが、当然ここでは身を守る術はなく、即座に砲を扱うこともできなかった。戦闘中は後部ハッチを閉じ、砲塔リング部にさし渡されたベルトに座り、ハッチのないキューポラを通して外部を見るというのが定位置だが、ここは著しく視野が限られた。
騎兵部隊では、この乗員配置も弱武装も好まれなかった。特に後者に関しては、薬室を広げ、大型の薬莢を使うことで多少の改善が図られた。この改造によって初速は600m/秒に、装甲貫徹力は30mmに上がったが、一方で砲身寿命も著しく縮めたので、騎兵部隊の一部の車両に施されたに留まった。
1940年春以降、防御力向上のため、もともとのシュレティアン式の双眼鏡式観察装置は、徐々にスリット式の観察装置に交換された。

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Last-modified: 2017-07-12 (水) 18:51:52