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基本情報 Edit

画像名前T-26
T-26.jpgソ連
レアリティ★1
出撃数3
編成コスト430
戦車タイプ軽戦車
優先ターゲット資源・娯楽
攻撃範囲単体
戦車紹介
ソ連がヴィッカーズ社の支援を受けて、初めて作成した国産戦車。
45mm対戦車砲を搭載しており、当時機銃しか持たない軽戦車を圧倒した。

 

全長4.62(m)全高2.33(m)
全幅2.44(m)重量9.40(t)
最大装甲25(mm)乗員3人
懸架方式リーフスプリング方式
主砲45mm 20-K
副武装7.62mm DT

ステータス Edit

火力装甲射程速度連射
1524879057433

ゲームにおいて Edit

ソ連軽戦車で一番手に入る戦車ではないだろうか?
こちらは軽戦車の割に単発砲を装備しているが単体攻撃であり、高連射である。解せぬ
口径はこちらの方が大きいのに火力が低い上、連射が高すぎる・・・。謎である。扱いは主に囮・遠隔地の破壊である。

元ネタ Edit

T-26は、第二次世界大戦前からソ連軍などで使用された軽戦車である。

概要
ソ連初の量産型軽戦車T-18の後継となるべき歩兵支援用軽戦車を目指し、T-19とT-20が試作されたが、これらはエンジントラブルにより実用化には至らなかった。1929年5月にソ連軍は、イギリスのヴィッカース社が独自に開発していたヴィッカース 6トン戦車をライセンス生産する契約書にサインした。これは、V-26として15両が輸入され、新たな戦車開発のための参考となった。そして、いくつかの他の試作戦車とのトライアルの結果、改良を加えてT-26として採用され、レニングラードのボリシェビキ工場(第232工場)において国産化に入った。1932年からは、同じくレニングラードの第174工場も生産に加わった。
1931年-翌年にかけて、ヴィッカース 6トン戦車同様に1丁ずつのDT機銃を備えた銃搭2基を横並びに搭載した最初の型(1931年型)が量産された。これらの銃搭は互いに干渉するため、270度の限定旋回しかできない。後に、右銃搭にルノー軽戦車やT-18で使われていたオチキス37mm戦車砲の国産型PS-1(M1928年型)を装備した型が作られた。1932年には、同じく右銃搭にB-3(5-K)対戦車砲(ドイツでのラインメタルPaK 35/36 3.7cm対戦車砲の採用に先駆けてライセンス生産され、装備していたもの)の戦車砲型PS-2(1930年型)を搭載したものに変更された(後に同砲をBT-2用単砲塔に搭載したものがレニングラード攻防戦に登場するが、これは、双砲塔型からの現地改造車両である)。しかし、この砲は新型砲の採用により短期で生産を終えてしまったため、1933年型としてBT-5同様に新型砲塔と更に強化された45mm砲に換装されている。先行量産型は円筒形砲塔を搭載していたが、これはすぐに大型バッスルを持つ馬蹄形砲塔に代わり、同砲塔はBT-5戦車やBA-3・BA-6装甲車に搭載された。バリエーションとして、鉢巻型無線アンテナのあるT-26TUもある。1935年には車体の接合に溶接が用いられるようになり、また、さらに後期の生産車では、砲塔後部に機銃のボールマウントが追加され、対空機銃の装備できる新型ハッチを持つなど、細部の異なるバリエーションがある。

実戦投入と改良型
スペイン内戦で共和国派側に提供されたT-26は、当時最強の対戦車戦闘能力を持つ45mm砲によって、ファシスト側に参戦したドイツのI号戦車やイタリアのL3/33といった機銃しか持たない軽戦車を圧倒した。また、1938年の満州・ソ連間の国境紛争である張鼓峰事件では、257両(他、BT-5が81両、SU-5自走砲が13両)が投入され、日本陸軍との戦闘で9両が完全撃破され76両が損傷(うち現地で修理可能な物39両)の損害を出している。損傷は日本陸軍によるものだけでなく(後に初期のT-34やKVが陥るのと同様の)、工作精度の低さからくるギアボックスや乾式クラッチの故障によるものも多かったという。この後、ノモンハン事件でもBT戦車と共に日本陸軍相手に戦っている。
さらに、1937年型として、側面が傾斜した新型の「円錐型砲塔」タイプが登場。スペイン内戦で火炎瓶攻撃を受けた経験から、エンジンの排気口に後方がメッシュ付きで開口したフードが付けられた。また、後には車体側面も傾斜装甲になった1939-40年型が登場している。
もっとも、当時の状況を忠実に再現した映画『冬戦争』では、その後ろ側から火炎瓶を投げ込まれ炎上させられるシーンがあり、また、それ以前のノモンハンでも同様に火炎瓶にやられているので、根本的な解決には至っていなかったようである。実際、冬戦争では、対戦車砲とフィンランド兵の肉迫攻撃により大きな損害を出しており、途中で増加装甲を装着している。
T-26は、出現当時は比較的強力な戦車であったが(後に少し強化されるが)、15mmという主装甲の薄さと88馬力のエンジンパワー不足による速度の遅さにより、ソ連軍戦車兵には評判が良いとはいえなかった。また、BT戦車同様に、機関部付近への榴弾の直撃でガソリンタンクが燃え上がることも多かった。それでも本車は1938年夏の段階で約8,500両、最終的に12,000両以上と言う、当時世界で最も多く生産された戦車となった。
これらは独ソ戦の初期に大変な損害を出し、生き残った車両はBT戦車と共に満州国境の守りに回され、1945年8月の満州侵攻の際に久々に実戦に参戦することとなる。ヨーロッパからのT-34などの移動が遅れたため、この時点で1,461両が実戦配備されており、戦闘や故障で全損34両、工場で修理可能なもの122両、現地で修理可能なもの33両の損害を出している。
ドイツ軍にも大量に鹵獲され、Pz.Kpfw T-26(r)として二線級任務に用いたり、一部は他の鹵獲軽戦車同様に砲塔を外して大砲牽引・弾薬運搬トラクターとして用いられた。フランスのM1897野砲をドイツ軍が対戦車砲に改造した7.5 cm PaK 97/38を搭載した自走砲、7.5cm Pak97/98 BeutePanzer T-26という珍品も存在している。
フィンランド軍も鹵獲した本車を自国の戦力とした。装甲戦闘車両が不足していたフィンランドにとって、ソ連軍からの鹵獲車両は貴重で、特にT-26は各形式合わせて100両以上が鹵獲・運用されており、数的にはフィンランド戦車部隊の主力戦車であった。また、先に輸入していたビッケルス軽戦車(ヴィッカース 6トン戦車)にT-26の戦車砲を載せて強化、これをT-26Eと称して使用した。

+  派生型

Wikipedia英語版「T-26 (戦車)」より転載

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Last-modified: 2017-09-28 (木) 18:56:53