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基本情報 Edit

画像名前Mk.E
Mk.E.jpgイギリス
レアリティ★1
出撃数3
編成コスト400
戦車タイプ軽戦車
優先ターゲット資源・娯楽
攻撃範囲単体
戦車紹介
車体はリベット鋼板で作られ、
推進力はアームストロングシドリープーマエンジンを搭載した。
初期モデルは2つの砲塔を持っている。

 

全長4.56(m)全高2.16(m)
全幅2.41(m)重量7.35(t)
最大装甲14(mm)乗員3人
懸架方式リーフスプリング・ポギー式
主砲7.7 mm machine gun
副武装-

ステータス Edit

火力装甲射程速度連射
923468055524

ゲームにおいて Edit

シングルバトル エリア2において、☆30獲得することでもらえる設計図。

元ネタ Edit

ヴィッカース 6トン戦車(ヴィッカース 6トンせんしゃ)は戦間期にイギリスのヴィッカース・アームストロング社が開発した戦車で、ヴィッカース Mark E(Mk. E)の名でも知られる。1928年に完成、イギリス陸軍には採用されず海外輸出用として生産され、多くの国で戦車部隊の基礎となっただけでなく、いくつかの国では独自の発展型も生み出された。第二次世界大戦においても、なお数カ国では現役であった。

1928年、ヴィッカース=アームストロング社は、自主開発によって新しい戦車を完成させた。当時としては新機軸と言えるアイデアや機構を盛り込んだ設計であった。
サスペンションは特許を取得したボギー式のものであった。これは4個の小型転輪を1組としてリーフスプリングで懸架したボギー式転輪を配置するスタイルで、シンプルな機構ながら追従性は良好で、この後、多くの戦車がこれに倣った。ピッチの細かいマンガン鋼製の履帯は軽量ながら堅牢で、耐用走行距離は3000マイル(約4800km)あった。車内通話装置を備え、後期には短波無線機も装備した。
当初から、機銃2丁装備の双砲塔型、砲と機銃を装備の単砲塔型の2種が想定されており、特に単砲塔型では、砲と機銃が同軸に装備されていて、これも当時では新機軸だった。また武装ほか装備も顧客の要望に従って変更可能というのもメーカー側のアピールポイントだった。
車体はリベット構造で、戦闘室前面、砲塔周囲で最大装甲厚13mmが標準だったが、顧客の注文によっては17mmまでの増厚も選択できた。名称は6トン戦車だったが、装備によって7 tから8 t程度の重量となるのが普通だった。
イギリス陸軍には採用されなかったが、その後の10年間に、多くの国に輸出された。特に第一次世界大戦当時の旧式軽戦車であるルノーFT-17や、ビッカース・カーデン・ロイド豆戦車で戦車部隊の創設を始めた国が、次により本格的な戦車の装備を目指す際、更新機材として、6トン戦車は手頃な存在だった。
6トン戦車はソ連、日本、ギリシャ、ポーランド、ボリビア、タイ、フィンランド、ポルトガル、中国、ブルガリアに輸出され、そのうちソ連とポーランドではライセンス生産も行われて独自の発展型も生み出された。輸出先として中小国が多かったために、イギリス国内での生産台数はさほど多くなく、150輌余りと見られる。
車体前部に付けられた銘板(フィンランド、パロラ戦車博物館、Ps.161-7号車)
なお「Mk. E」の呼称は、それ以前にヴィッカース・アームストロング社が作った輸出用の中戦車、「Mk. C」(日本の八九式中戦車の原型)、「Mk. D」に続く輸出用の呼称である。「6トン戦車」が会社が名付けた本来の名称で、戦車に取り付けられた銘板にも「6 TON TANK」と記されている。

ソ連
6トン戦車の初の購入国で、1930年、15輌とライセンス権を入手。翌年から国産型のT-26の生産が始まり、独自の改良が取り入れられつつ、1940年まで1万輌を超える大量生産が行われた。
アメリカ
入手経緯は不明だが、アメリカ陸軍が試験を行い、その成果を生かしてT1E4軽戦車を開発した。これが後のM1戦闘車やM2軽戦車に発展する。
日本
1930年(昭和5年)に研究用としてType A 双砲塔型の無線機搭載型を1輌輸入。履帯と車載無線機の研究に用いられ、マンガン鋼製の履帯が以後の日本戦車の標準に採用された他、車体は九五式軽戦車開発の参考になった。後に1937年(昭和12年)に起こった第二次上海事変中の8月21日の上海公平路付近の戦闘において海軍特別陸戦隊安田部隊(呉第1特別陸戦隊、司令安田義達海軍中佐)が、国民革命軍が保有していた(後述)Type B 単砲塔型の無線機搭載型とその他、計3輌を鹵獲した(翌22日に自陣に曳行)。日本ではビッカース軽戦車と呼称された。
ギリシャ
1930年発注。双砲塔型、単砲塔型各1輌を評価用に輸入。
ポーランド
1931年に50輌の購入契約を結ぶとともにライセンス生産権を入手。実際に入手したのは38輌で、すべて双砲塔型のType Aだったが、後に砲塔が追加購入されて、22輌がType B仕様に改修された。その後、A、Bともにエンジンの過熱を防ぐため、車体左右にまで張り出す大型のエアダクトが装着された。ライセンス生産型は7TPの名でザウラーVBLDdディーゼルエンジンを搭載、主生産型の単砲塔型はボフォース37mm戦車砲を装備。
ボリビア
1932年、双砲塔型、単砲塔型、計3輌を購入。1933年のパラグアイとのグラン・チャコ戦争に投入されたが、これは6トン戦車にとっての初の実戦だった。
タイ
1932年、単砲塔型10輌を発注。1938年に12輌を追加発注(第2期分は、うち8輌のみ到着)。第2期分はMk. F規格の車体を持つ後期型。加えて、26輌のポンポン砲搭載自走砲も購入しており、1941年の仏領インドシナとの戦争に投入された。
フィンランド
1933年、フィンランドは評価試験用に1輌の単砲塔型を入手、試験の結果32輌を発注し、これらは1936年7月から1939年1月にかけて納入の予定だったが、結局は開戦後までずれこんだ。評価試験用の1輌は標準型、後の32輌はMk. F仕様の車体を持つ後期型で、砲塔は後部にバスルがあった。ただし、無線機搭載ではなく弾薬収納用に使われたらしい。評価試験用の1両を除いては武装抜きで輸入され、フィンランドは別途スウェーデンにボフォース37mm戦車砲を発注して装備した。ボフォースの到着まで、数輌はルノーFTのピュトー(プトー)37mm砲を仮に装着して訓練を行った。1939年-1940年の「冬戦争」では、改装と配備が間に合った13輌だけが、第4戦車中隊装備車として、1940年2月26日のホンカニエミの戦いに初投入された。冬戦争を生きのびた車両は、評価用の標準型1輌を含めて、ソ連から鹵獲した46口径45mm戦車砲付きに改修され、T-26Eと名付けられた。これらは鹵獲品のソ連製T-26とともに継続戦争で使われた。
ポルトガル
双砲塔型、単砲塔型各1輌を評価用に輸入。
中国
1935年以降、20輌の標準車体の単砲塔型を購入。最初に到着した16輌は通常の単砲塔型、次の4輌は砲塔に張り出しを持つ無線機搭載型だった。第二次上海事変で市内の防衛戦に投入されて日本軍と戦火を交えた。この内の何輌かは不明だが、日本軍に鹵獲された。
ブルガリア
1936年に単砲塔型8輌を購入(翌年到着)。Mk. F規格の車体を持つ後期型。訓練用にのみ使われた。
スペイン
1937年、グラン・チャコ戦争時にパラグアイが鹵獲した1輌の単砲塔型を輸入したらしい。
イギリス
正式採用はされなかったが、1938年にタイが発注した生産分から4輌を入手、訓練用に使用した。

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  • 『6トン戦車』と対外的に宣伝されていたが、装備次第で御覧の通り -- 2017-05-04 (木) 13:13:25
お名前: Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

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Last-modified: 2017-07-19 (水) 10:42:22